習慣を味方につけて、わたし改革。「日常のなかにある幸せ」

良き習慣

 

普段の何気ない日常が

実は幸せの只中にいるということ。

これが、なかなか実感しづらい。


日常が非日常になったとき

日常では、大体やるべきことに追われている。

今、やっていることをじっくり味わうことを

忘れ、いつも頭のなかは次ことで

いっぱいだ。







ところが、風邪なんか引いたりして

体が不調になるという

非日常に裏返ってしまうと

いつもの日常が、どれほど幸せで

キラキラしているかが実感しやすくなる。



こちとら、体のあちこちが痛くて

寝ているしかないときに

リビングからテレビの音が聞こえてくる。

すると、そこにいる彼らが、天国の住人のように

羨ましく思える。








普段は、なんのありがたみもなく

いつもの日常を過ごしている。


ただの暇つぶしでしかない

鉄板の2時間サスペンスドラマを見ながら

過ごすのが、この時ばかりは

幸せの象徴以外の何者でもないように感じる。






そういうシステム



人は、失ってはじめて、その尊さを知る

というが、正確には失ってからしか

実感は持てないと、わたしは思う。




残念だ。



いかにもこの世らしいパラドックスだ。




しかし、ひとたび病の症状の回復の兆しが

見える頃(つまり少し元気が出てくる頃)

最高の瞬間が訪れる。



鉄板の2時間サスペンスドラマを

見れる自分が幸せ過ぎる。

どこも痛くないのも幸せ過ぎる。

食欲が幸せ過ぎる。

明日、仕事に行けるのさえ幸せ過ぎる。


こういった腹の底から湧き上がる幸せを

深く実感できるのは

ついさっきまで

非日常の荒波に身を置いていた者の特権である。



日常にこそ幸せがある



なんで、こんな幸せを普段はスルーしているのか?


どう考えても、もったいなすぎる。



だから、わたしは普段のなにげない日常の中でこそ

たくさんの幸せを実感したいのだ。




ああ、空がきれいだ♡

ああ、コーヒーが美味しい♡

ああ、トーストの恵みに感謝♡

ああ、いつものルーティンをこなすことが

できる♡


なんて幸せなんだ!!


と、いちいち一旦停止して

幸せを確認しながら過ごしたい。






しかし、悲しいかな…。

それも、また普段の日常が何事もなく続くと

ついには当たり前になってしまい

とうとう輝きを見失ってしまう。



なんてことだ!の繰り返し…。



そういうシステムにあえて抗う

こんなことを繰り返していると

死ぬ間際にしか、実感が持てない。


生きていること

それそのものが美しく

キラキラと輝いて、素晴らしいことだったと。



普段、不満ばかりぶつけていた

身近な人を失ったとき

その存在が実は、どれほど支えになっていたかを

後からしかわからないなんて。



やっぱり、もったいなすぎる。





だから、わたしはもうすでに幸せのなかに

いることを忘れないでいよう。



わたしは今日も生きている。


幸せだ。


読んでくださり

ありがとうございました。

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