習慣を味方にして、わたし改革。「孤独を感じるのは、ごく自然なこと」

自分を愛して生きていく

わたしは、孤独を感じる時があります。

「孤独」と「わたし」という自我が
切っても切り離せない関係にあると
わたしは思っています。




このブログでは、
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。



PVアクセスランキング にほんブログ村

わたしが孤独を感じるとき

わたしの場合

物理的に一人でいることは平気。




人の輪の中に入っていけなくて
一人ぽつんとしていることは

少々孤独であるが
しかし特に耐え難くもなく。


けれど

わたしの考えや思いが
「本当に通じると思える相手がいない」
と感じることが

わたしを一番、孤独させる。







純粋な孤独はない

わたしの中で、この世界にあるものは
見えるものであれ、見えないものであれ

分かれているという感覚はあまりない。


かといって「つながっているよね」と
その感覚を実感し、よろこびとすることもない。


ただ、何か一つだけ単体で
全く独立したり、孤立できるものがあると
感じることの方が難しいのである。


と、すれば
わたしの中では、純粋な孤独など
どこにもないのである。

純粋な孤独はない。

つまり、純粋に孤独な人はいない。








わたしの孤独は望郷?

純粋な孤独はないと、どこかで
感じていながら

わたしは孤独を感じている。


わたしの孤独は
考えや思いが本当に通じる相手がいない
と感じる時に起こるのである。


これは、裏返せば

孤独のない世界を
どこかで知っているからではないのかと
思うのである。

その世界への望郷…なのか。







赤ん坊に孤独はない


わたしの孤独は
わたしがまだ、「わたし」ではなかった頃には
無かったものだろうと推測する。

赤ん坊の頃は、わたしの存在が誰なのか
さえ、自分ではわかっていないのだから。








わたしがまだ、自分のことを
「わたし」と認識する前は
孤独を感じていない世界があったのだ。


つまり、「わたし」は、わたしの存在より
後に生まれたものなのだな。

わたしの存在があり、そこに「わたし」という
認識(自我)が生まれた。

わたしの存在は、孤独になることはできないと
知っているけれど

「わたし」は、孤独を感じてしまう。


単純にそういう仕組みなのだなと思う。






こどく?それっておいしいの?




まとめ


純粋な孤独にはなれないけれど
孤独を感じることはある。


その孤独を感じた「わたし」に
やさしくできる人がいる。



それが「今のわたし」だ。









「わたし」の持っている記憶(孤独)を
一緒に感じて、労ってあげよう。

慰めてあげよう。

話を聞いてあげよう。

抱きしめてあげよう。


「今のわたし」は、実にパワフルである。




孤独は、実態のないもので
感覚として襲ってくるモヤのようなもの。

それは「わたし」が生まれた時から
切っても切り離せないものとなったのだ。


だからきっと

孤独も愛せばいいのだ。
「わたし」を愛するように。











読んでくださり
ありがとうございました。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ
ブログ村の「ライフスタイルブログ」のランキングに参加中です。いつも応援クリックありがとうございます♡

PVアクセスランキング にほんブログ村

自分を愛する大切さがわかる
わたしのおすすめの一冊です♡

「喜びから人生を生きる!」
アニータ・ムアジャーニ著

コメント