習慣を味方につけて、わたし改革。「いつだって本当の幸せは除外されている」

自分を愛して生きていく

当たり前のことが奇跡だと
それこそが幸せだと気づくことが
できないのは
幸せの中にしかいないからです。

このブログでは
怠け者だったアラフィフのわたしが
良き習慣を身につけ
たら
人生どう変わるかを自らの体験を元に発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方の参考になれば幸いです。


 

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平和な日々は、まだ遠い

最近ずっと、心の中がモヤモヤしています。

大方、その原因については
自分なりに見当はついています。

そして、その原因はやはり自分自身に
あるともわかっています。







一見、外的要因が
わたしの気分を左右しているように見えますが

よくよく見てみると
やっぱりそうじゃないのです。



わたし自身の中に、ちゃんとあります。
それは、ある意味「争い」です。




自分の中に、相反する考えや思いがあり
それらが争いを続けた結果、現在膠着状態に
あります。



それらの考えや思いをよく見てみると
やはり、それぞれが「自分の意見が正しい」
「自分の思いを通したい」というのが
見えてきます。

そして、互いに半ば力ずくに押し通そうとも
しています。

わたしの心の世界が平和を取り戻すのには
まだ、しばらく時間がかかりそうです。









自分のことさえ何も知らなすぎる

今朝、何気なく自分の手のひらを眺めていました。

すると、右手と左手の指紋が全然違うことに
気がつきました。

「え?こんなに違ったっけ?」と
わたしは驚きました。

左手の指紋は、中央にぐるぐる巻いているのに
右手の指紋は、左に流れているのです。





毎日、毎分、毎秒、休ませることなく
使い続けている「自分の手」のことさえ

何も見えていない、何も知らない…
と愕然としました。


わたしは悲しくなりました。

自分の手をはじめ、体の細胞さんたちは
一生懸命活動してくれて、わたしを支えて
くれているのに

普段のわたしは全無視で
頭の中で考えていることだけを「わたし」として
関心を持っているのです。







わたしは今、花粉症の真っ最中で
かなり憂鬱です。

それで自分が何をしているかというと
体に「ケチ」ばかりつけているのです。

不快な症状を感じるたびに
「なんでこんなことに、チッ!」と怒っています。






でも、体さんはきっと一生懸命
できる限りのことをやってくれている
のだと思うのです。

わたしのために、わたしを守るために。


なのに、わたしは偉そうに舌打ちして
テンションを下げています。


これじゃあ、いつまでたっても
幸せになれないはずだと思いました。

頭の中で考える幸せではなくて
心の底から幸せを感じることができないはず
ということです。









幸せは除外され続ける

ああ、人間は幸せになれないはずだ
と思いました。


不幸せには簡単になれるけれど
幸せになるのは、とても難しいのです。

なぜなら、もうすでにいつも幸せの中に
いるからです。





空気は探さなくても、いつでもあります。

だから、空気は当たり前のもので
幸せの対象にはならないと思っているからです。

つまり、自分を形作っている体はじめ
「当たり前」だと思っているものは
全て幸せから除外されているのです。










その逆に、簡単に不幸せになれるのは
それがとても稀なことだからではないでしょうか?

人生において不幸せは「稀」なことだから目立つ。

辛い記憶や悲しかった記憶は
いつまでも色濃く残るのに

楽しかった記憶や嬉しかった記憶は
一瞬で消え去る…

このように創られているのが人間なのです。







幸せは、うす味

私たちが求めている
幸せって本当にあるのでしょうか?


健康、お金、人間関係を豊かに満たすことを
本気でコントロールできると思っているのは
なぜなのでしょう。






テレビや外側の情報がもたらす
「幸せのカタチ」ばかりに騙されてきたのでは
ないのでしょうか?

条件を満たせば幸せになれると
夢見てきたことって
本当に幸せにしてくれたでしょうか?

「幸せを求める」人間の姿は、もしかしたら
ものすごく滑稽で、馬鹿げているのかも知れません。








だって、もうすでに欲しいもの=幸せは
いつでもあるのに

自分で目隠しして「ないない」と
怯えて不安になっているのですから。



不安だから、安心という名の幸せを求める。
退屈だから、刺激という名の幸せに求める。

これらは偽物の幸せです。

幸せって、特別なものじゃなくて
もっと刺激のない、うす味

平凡そのものな気がします。

そしてそれらは
決して自分の思い通りにコントロールできるもの
ではないと、わたしは思います。







結局、幸せしかなかった

わたしは時々
自分がこの世界を去る時のことを考えます。

今日はこんなふうに考えました。





その時、自分の手のひらを見て思うのです。

自分の思考にはずいぶん関心を持ってきたな。
それでいつも振り回され続けてきた。

なのに、いつも24時間休むことなく
わたしと一緒にいてくれた体の細胞さん達には
目もくれなかった。

これもわたしなのに…
愛すべきわたしだったのに…

何か大きな間違いを犯してしまったような
気がする。





と、こんな風にです。

でも、結局そうでしかやってこれなかった自分も
許してあげると思います。

「わかっちゃいるけどできなかった」

「できなかったのは
本当にはわからなかったからだ」

という争いは止むことはないでしょう。
どちらが真実かなんて、どうでもいいのです。




でも、わたしが生まれてからずっと
幸せであった事実は
この世界がよく知ってくれているだろう
と思うと安心します。



不幸せなふりはたくさんしてきたけれど
自分が本当は幸せなことを
誰もが知っているのかも知れないと
わたしは思います。









今日も、お読みくださり
ありがとうございました♡


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「喜びから人生を生きる!」
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