習慣を味方につけて、わたし改革。「わかっちゃいるけど、できない理由3選」

良き習慣

良き習慣を身につけることができたら

間違いなく自己肯定感はアップするし

人生は楽しくなる。

わかっちゃいるけど、できない理由3選

良き習慣を味方につければ
最強だと言われても…

言うは易し、行うは難しである。


わかっちゃいるけどできないって
あるもんね。



わたしにはこんなできない理由があった。

①変化が不安、現状維持が安心

②本当にやりたいことなのか、わからない

③今の自分への愛を取り違えている




わかっちゃいるけど、できない理由その1

変化が不安、現状維持が安心


これは人間にとって自然なことらしい。

人間にはホメオスタシス(恒常性維持機能)
という一定の現状を維持しようとする機能が
備わっている。


これは体温調整などの生理的にも
ライフスタイルを維持しようとする
心理的にもみられる。


生理的には、この機能が正常な働きを
してくれることは非常に大切になってくるが

心理的には、時に足枷となることがある。







規則正しい生活への変化を望んでいても
現状の不規則な生活を維持する方が
安心できるのである。


これを、打開して前へ進むには
もうそれこそ
「一旦やってみる」しかないのではと思う。


いくら決心ばかり立派でも
初めの一歩を踏み出さなければ
「道」はできないのある。








何かを変えようとするとき
特に実際に行動に移す前は

不安になるのは当たり前
ごく自然なことだと知っておくことは
有効である。


決して、不安がる自分を意気地が無いと
責めたりしないことは、とても大切だ。


あとは、小さなことから始める。

早起きがしたいなら、まずは目覚ましを
早朝にセットする。

これができたら「よし!いいぞ!」と褒める。


こんなふうに小さなステップの
成功を、大袈裟に褒める。

これも大切なことだと、わたしは思う。








わかっちゃいるけど、できない理由その2

本当にやりたいことなのか、わからない


確かに、自分の本当の望みを知ることは
人生のコンパスになるし、正しい道を
歩けるように感じる。


以前のわたしは、何かにつけて

「本当に望んでる?」

という問いかけを尋問のようにやっていた。



一見、あなたの本当の望みは?なんて言うと
いかにも具体的な答えが導かれるように感じるが

よくよく見れば、この問いかけ自体
なんとも「ぼんやり」としているではないか。









「わたしの中には
確固たる明確な本当の望みがあるはず」

なんて自分探しを初めてしまっては
自ら迷路にハマってしまうようなものだ。




本当の望みなんて
あってないようなものだとわたしは思う。


ある時点では
その望みは真実のように感じるだろう。

ところが、しばらくすると
また、迷いが沸き起こってくる。

これはわたしの本当の望みなのか?と。









それは、わたしたちは日々変化している
生き物だからだ。

そして、この世は無常だから。

「ゆく河の流れは絶えずして
しかももとの水にあらず」(by鴨長明)である。


日々どころか、さっきと今では
もうそれは全然違うのだから。


だから、良き習慣においては
本当にやりたいことなのかどうかなんて
不毛な問いなのだとわたしは思っている。


わからないまま、やってしまえばいいのだ。

先達から受け継いだ
わからないままやってきたけど
自分のためになっていることは、山ほどある。








自分の人生を悔いのないよう
生きるには

土台に良きものがあると
大変助けになってくれるものだと
わたしは感じている。



人生を豊かにするために

「本当にやりたいから」も大事だが

「本当にやりたいかどうかわからない」

けれど、やってみようとすることも
大事だと思う。


なんでも片方に偏るのではなく
「経験」してみることこそ
人生の醍醐味ではないかとわたしは思う。


あくまでも軽い気持ちで。











わかっちゃいるけど、できない理由その3

今の自分への愛を取り違えている


わたしは
「一生かけてでも自分を愛して生きていく」と
決めた当初、とにもかくにも
自分に甘く、やさしくを心がけていた。


他の誰かより
とにかく自分を優先させたり、甘やかしたり。


この甘やかしの時期は、とにかく気分で動く。

「チョコ食べたい。」
「はいはい買ってきましたよ。」

「今日はずっと寝てる。」
「はいはいお布団かけましょう。」

わがままなお姫様とそれに仕える執事
一人二役やっていたようなものだ。





この時期を通過することは
わたしにとって、とても有効だったのだが

このわがまま度がどんどん行き過ぎて
「いや、ちょっとそれは…」と執事が
戸惑うのにもかかわらず


「やりたいんだから、やるんだ。
気持ちが動いているから正解でしょ!」

と今から思えば、かなりの暴君ぶり。



最終的に、これで痛い目に会うのは
言うまでないが…。

ちなみにこの時期のわたしの体重は
これまでの人生史上MAXだった。









と、こんなふうに自分を愛することだと
やっていることでも

ある時点からその分野は
(わたしにとっては甘やかし期)
もう卒業というタイミングがある。




そこを、きちんと見定めなければならない。


卒業すれば、今度は違う付き人の
違うやり方が始まった。

それが
忍耐してがんばりなさい期である。


散々な甘やかし期で
自分の堕落した生活をも正当化していたが
付き人が変わった今度はそれは許されない。


別段、すごく厳しくなったと
いうわけではないが

安西先生(byスラムダンク)さながら

「あきらめたらそこで試合終了ですよ。」

とか

「まだ見たことない自分に会いたいよね?」

とか

まあ、そんな感じで、とにかく

「やりなされ、やり続けなされ。応援してるから。」

と言われるもんで
ちょっとその気になってしまったのだ。







「その気」になるのは、「やる気」になるより
もっと良い。

下手に「やる気」でスタートダッシュして
こけるのと違い

「その気」はなんだか
自分にそのくらいの力があるような
気になってくるから不思議だ。(笑)


こんな感じで、今の自分に必要な愛を
取り違えて、与えてないかということも
チェックしてみることは有効だ。


本当は動きたいのに
ゆっくりさせることが優しさと
取り違えていたり、その逆も然りである。







まとめ


わたしの経験上での
わかっちゃいるけど、できない理由の
3つをあげてみた。


①変化が不安、現状維持が安心

②本当にやりたいことなのか、わからない

③今の自分への愛を取り違えている


変化が不安なのは、人間として当たり前。
ホメオスタシス(恒常性維持機能)が
機能している証である。

でも、不安でもチャレンジできちゃうのが
人間の素晴らしいところでもあるのだ。


そして、やる前から「これだ!」という
本当にやりたいことがわかることなんて
稀なことなのである。

だから、なんでもやってみて
感じてみればいい。


一度挫折したくらいであきらめることはないし
やっているうちに
自分はこれがやりたかったのだな
とわかることもあるだろう。


そして何より
今の自分に合った愛を贈ることも
忘れないでいたいものである。







お読みくださり

ありがとうございました。

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