習慣を味方につけて、わたし改革。「わたしを信じてください」

自分を愛して生きていく

「信じる」ことは、勇気がいります。
怖い気持ちを乗り越えて
勇気を出して、自分の人生を信じることが
できたら…。

 

このブログでは、
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。


 

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レイキと瞑想の時に、時々訪れる感覚

わたしは、朝5時に起床します。

その後、用を足すついでに
トイレ掃除をし、そのまま床拭きをします。





そして、洗濯機を回し、お弁当を作り終わると
白湯を飲みます。







白湯を飲み終えると、レイキの呼吸法と
軽い瞑想を行います。

このレイキの呼吸法と瞑想の時に
結構、雑念が浮かぶタイプでありますが

たま〜に「いい感じ」と思える感覚に
なるときがあります。



それは、おへその下あたりに
意識を集中することができる
とても安定した感覚です。









メッセージのようなものをキャッチする

今朝も、雑念多めの呼吸法と瞑想でしたが
一瞬ふっと「いい感じ」になりました。

「ん〜いい感じだな〜」と感覚を味わっていると
こんなことが浮かんできました。(聞こえてきました)



「起こることは、全部良いこととしてください」



言葉だけ見れば「???」が並びそうですが
わたしは、とても素敵なことだと感じ

「ほ〜…。なるほど〜。」
と了解していました。

そして、わたしなりに解釈をしてみました。






自分の捉え方は、ほぼ過去の記憶で決まる

人生で起こることを
私たちは常に判断しています。



「良い」「悪い」「正しい」「間違い」
「得」「損」「できる」「できない」
「幸せ」「不幸せ」など。

これは、この世界特有のもので
これらがあるおかげで、人間としての生を
大きく踏み外すことなく、おもしろく
生きていけるのだと思います。






が、この判断のバランスが崩れている時
心は苦しくなります。

プラスとマイナスの針に例えてみると
極端に、どちらかにふれてしまうと
非常に生きにくい、とわたしは思っています。


そして、このバランスを崩す一つの要因として
経験の記憶による思い込みがあります。






例えば
わたしにはこんな記憶があります。

小学1年生の入学直後だったと思います。

1年生の生徒が6年生の生徒に教室まで
エスコートされるような場面がありました。

その時、わたしと手をつなぐお兄さんが
「うわ!汚い、嫌やわ、わはははは!」
と言ったのです。


わたしの後ろの同級生は
やさしそうなお兄さんに
手をつないでもらっているのに
わたしは今にもはずれそうな指一本…。



その時のわたしはとても傷つきました。
そしてこう思いました。

「わたしは汚いんだ。
だから手をつないでもらえない…。」



ガーン…





そして、この記憶(トラウマ)は
わたしの人生でのさまざまなシーンで
結構、影響を与えてきました。


でも、今ならわかります。
わたしが本当に汚かったのではないと。
(たぶん笑)


単純にK・T(くだらない・つまらない)な
上級生に…

いや、(くそ!てめ〜!!)かな?
上級生を引いてしまっただけ。


今なら単に、引きが悪かったとも思えますし

小学6年生の男子なりの照れが
あったのかも知れないと譲歩してやれますが
(あくまで上から笑)

長い間、わたしは、そんなふうに
思えない純情マイナス思考少女だったのです。





わたしが…悪い?






と、このように

実際は、この起こったことと
自分が捉えたことが完全一致しているとは
限らないし、その証もないのです。


だから、自分を苦しめるような記憶を
出来事と切り離して考えるのは有効だと
わたしは思っています。


「出来事」と「自分の捉え方」
出来事はそのままの事実として動きませんが

自分の捉え方には自由が残されていることを
知っていると良いなと思います。








これは自分の捉え方を、否定したり
間違いだとか、気のせいとして抑圧してしまう
のとは違います。

その時感じたことを、素直に受け止めることは
わたしは大切に思います。



しかし、それがあまりに自分を苦しめ続ける
のなら、疑う余地はあると言うことです。


実際の出来事より
自分の捉え方が、自分を苦しめ続けている
可能性もあると。













今のわたしなら「汚い」と言われても

「それはおまえさんのことかい?」と
すぐ思えるほど、にわかには
わたしが汚いと信じることはできません。

いや、もしくは
「そういう時もあるでしょう。
人間だもの(byみつをさん)」と思い

「お前もな」と答えるかも知れません。


「起こることは、全部いいこととしてください」の真意

「起こることは、全部いいこととしてください。」


これは、まるで
「わたしを信頼してください。」
というふうにも感じました。


もしも
その声の主が、自分の魂なのだとしたら

わたしの人生を信じてくれますか?


わたしがわたしに
無駄なこと、悪いこと、苦しめるようなことを
与えるはずがないと信じることができますか?

わたしは、わたしの望みを叶えることしか
できません。


わたしはわたしの絶対的な
味方であり、誰より一番愛しています。

このことを信じることができますか?

これから信じようとしてくれますか?

という、メッセージのように感じました。









もしこれを信じることが根底にあれば
一体、どのようになるでしょう?

わたしの捉え方が変わってきます。

一見、自分には不都合な出来事も
「信じると決めた」と言う視点から捉えて見れば

転じて自分のためになることばかり
だと見えてくるかも知れません。


自分の成長や幸福の糧になることだと
見えてくるかも知れません。


たとえ、側からはそうは見えなくても。



自分だけは知っている。自分にはわかる。
そんな感覚は、誰しも持っていると思います。








間違った思い込みをダウトせよ

この世は修行の場とよく言われますが
わたしは、この表現があまり得意ではありません。

それはわたしの中で
「修行=辛い、苦しい、耐え」
と変換されるからです。




なので、わたしは
「この世はゲーム」と言いたいのです。



トランプゲームのダウトのように
この世界で生きる自分に対しての嘘を見破っていく。


自分が取るに足らないなんて…ダウト!
自分が愛されていないなんて…ダウト!
自分が幸せじゃないなんて…ダウト!

と、こんな感覚です。




あなたの中のあなたも
いつもあなたに囁きかけていることでしょう。



「わたしを信じてくださいね」と。



それは、とてもやわらかく
雑音のボリュームを絞っても
耳を澄まさなければ聞こえないほどの
小さな小さな声で。









お読みくださり
ありがとうございました。


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