習慣を味方につけて、わたし改革。「インスピレーション。ただ生きていることを喜ぶ」

自分を愛して生きていく

時々、ふとインスピレーションを
感じる時があります。
そんな時は、ブログもスムーズに
書き進められラッキーです

このブログでは
怠け者だったアラフィフのわたしが
良き習慣を身につけ
たら
人生どう変わるかを自らの体験を元に発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方の参考になれば幸いです。


 

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インスピレーション

朝食の後、洗い物をしようとシンク前に立つと
突如、こんなインスピレーションが降ってきました。

「ただ、生きていることを喜びなさい」

「?」
「???」






まるで、降ってくる言葉を浴びながら
わたしは家事を続けます。

でも…ただ、生きていることを喜ぶなんて
とっても難しいですよね。









ポッケのあめの皮

それから、洗濯物を干そうと
昨日の乾いた物を取り入れ、畳んでいたら
夫の作業ズボンから、あめの皮(袋)が
出てきました。









その時のわたしの反応は

「げっ…」に続いて

(せっかく洗濯したのに、ちゃんと綺麗に
なってるのかな〜?

ポケットの中身はちゃんと確認して欲しいわ〜。
これがティッシュなら大惨事やで。)



と、まあまあ不服そうでした。









でも、考えてみたのです。

わたしが子供なら、全然違う反応になったはずだと。





乾いた洗濯物からあめの皮が出てきたら

「え?すごーい!」に続いて

洗濯機に回されている間の
あめの皮の冒険に思いを馳せたり

外に飛び出すことなく、無事にポケットの中に
しがみついていられたことなど








普段起こらないことが起こった時の
物めずらしさを、おもしろがっていたはずと
思ったのです。




もし、これがあめの皮ではなく
あの、例の悲惨な
地獄のティッシュであったとしても
やはり、おもしろがったのではないかと推測します。







大人と子供の反応の違い

このことを考えていると

大人のわたしの反応には
「ねばならない」と「責任感」が
隠れてることを発見しました。


当然、自分では全く気づくことができないくらい
染み付いている、ねばならないと責任感ですが。








洗濯された物は
綺麗になっていなければならない。


家族の洗濯物はわたしが責任を持つ仕事。


これらをもとに、ズボンのポケットから出てきた
あめの皮を見れば

「げっ、なんてこと!ティッシュじゃないだけ
まだマシだったけども…」となります。







でも、子供のわたしの反応は
洗濯物に対して、なんの責任も持っていませんし
ねばならないという考えもありません。




泡の中ぐるぐる回る洗濯物の世界はどんなだろう?
ポケットのあめの皮は必死にポッケにしがみついて
いたのかな?


これらをもとに、ズボンのポケットから出てきた
あめの皮を見れば

「わー!!すごい!!」と
ポッケに入ったままだった
あめの皮を奇跡のように感じたでしょう。










モーマンタイ(無問題)

これらのエピソードには
ただ生きていることを喜ぶ
ヒントが隠されているように感じます。

わたしは今、花粉症で目の周りが荒れて
目の下にはどんよりとしたクマができています。

それで、鏡を見るたびに気分も落ちます。

今までと顔が違って見え、とってもがっかりします。







かと思えば、左足の膝の裏が痛かったり
更年期療法のパッチを貼っている部分がかぶれて
かゆくてたまらなかったり

いわば、わたしにとって不都合なことでいっぱいです。






この不都合なことは全て

「今までと同じでなければいけないのに
今までとは、まるで違う」

という、ねばならないに縛られた目線なのです。

目の下にクマができているわたしは
もはやわたしとして受け入れてもらえそうにも
ありません。





ただ生きていることを喜ぶには

「クリアしなければならない問題は何もない」

ことを、知ることだとわたしは思いました。



花粉症? だから?
目のクマ? だから?
更年期? で?なに?
かゆい? かけばいいさ〜。

ちょっと極端ですが
生きていると起きてくる様々なことを

大袈裟に捉えて
深刻にならないでいられる方法が

ただ生きていることを喜ぶ図太さなんじゃ
ないかと思います。


今日も生きていますが、何か?


そうやって、ねばならないや責任感という
分厚い雲を払いのけると、青空が見えるように
勝手に喜びが湧いてくるのじゃないかと思います。









大切なことはこれだけ

ただ生きていることは奇跡なのだけれど

ただ生きているだけじゃだめだと
私たちは思うようになりました。



まず大人にならなければならなかったですし
できれば立派にならなければいけないとも
思ってきました



人間の世界では大切なことが
あらゆる方向から語られすぎて


一体全体、何が大切なことなのかも
さっぱりわからなくなってしまいました。









もう一度、原点に戻って
ちょっとほっとしませんか?



「生まれてきてくれたの?」
「わ〜うれしい、うれしい。ありがとう。」

ただ生きてね。

ただあなたが生きていることが喜びです。







きっと、この土台がないから
何を積み重ねても、虚しいのだと思います。

だから、わたしは何度でも言いたいのです。

「生まれてくれてありがとう。
ただ生きてくれてありがとう。
あなたがいると、わたしはうれしい。」


辛くて挫けそうになったら
「今日も生きていますが何か?」です。

そう、もう一番大事なことは
ちゃ〜んとやってのけているのですから


あとは、子供のように
色と温度を変える心をおもしろがって
遊びましょう。




もう、すでにここがゴールです。




今日も、お読みくださり
ありがとうございました♡


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