習慣を味方につけて、わたし改革。「コケても自分を愛して生きていく」

雨の日は、道路に点在する
鉄板にはご注意ください。


このブログでは
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。


 

PVアクセスランキング にほんブログ村

すべってコケて、ケガしました

朝から雨が降っていた月曜日の出勤途中
なんと、すべってコケてしまいました。







その際に、左の膝を強打してしまい
ズキズキする痛みに耐えながら
なんとか職場まで辿り着きました。






着替えの際、恐る恐る強打した左膝を確認すると
皮が擦りむけて血が滲み出ていました。

なんということ…。
コケて膝を擦りむくケガなんて子供の時以来です。

「か、悲しみが…すぎる…」と独りごちながら
持っていた消毒液と絆創膏で手当てをしました。


そして、上司や同僚に
泣き顔を作りながら「ううっ、コケた〜」と
触れ回りました。



膝以外は、なんともありませんでした…。






事故というものは…

いや、それにしても事故とはこういうものだと
改めて思いました。

「起こる時は、起こる。」ということです。


わたしの右足のスニーカーが一瞬すべった
と同時に、一切の対策をとる間もなく
左膝をついておかしな体勢になっていました。






つまり、「あっ!」と思った次の瞬間
変な体勢でコケている自分に気付き
立ちあがろうとしている…

その間の思考や記憶が全くないので
一体何が起こったのか理解するまで
少々時間がかかりました。


「これが防ぎようのない事故というものかぁ…」
と、改めて「どうしようもなさ」を感じました。







思考では「気をつければ防げる」などの正論で
ただの「不注意」として片付けられる
気もしますが

それでも「起こる時には、起こるのが
事故だよな〜」と


割り切れない思いも
わたしの中にあるのを否定できません。










ありきたりな話がしたいわけではない

しかし、事は起こってしまって
実際、ケガもしているので現実的な対応は
すぐする必要があります。






傷の手当てや
みんなに慰めてもらうなど…
やれることはやってしまってからが
人生の本番です。



自分の身に起こったことを
不運だと嘆くこともできるし
これで済んで運が良かったと思うこともできます。







運が悪かったと思えば
自分をどんくさいと責め、スニーカーを恨み
道路に点在する鉄板を
一生怖がることになるかもしれません。

そして
「なんで、こんなことが起こってしまったんだ。」
と、羞恥心と共に
ずっと嘆いていることもできるのです。





運が良かったと思えば
「この程度のケガで済んでよかった。」と
思うこともできるし


同僚が口を揃えて言ってくれた

「悪運使い果たしたから、もう良い事しか
起こらんで。」

というのを鵜呑みにすることもできるのです。





といった、ありきたりな話を
実はしたいわけではありません。

これはこれで有効ですが…。






それ、全部自分=OK

これは、どっちが正解で良いとかの話ではなく
物事には、どんな解釈も出てくるんだな〜と
いうことです。

そして、たとえどの解釈を選んだとしても
その自分に一旦は「YES」と言ってあげたい
ということが、わたしの強く思うところであります。







「運が良かった」という解釈ができた時は
なんか正解を勝ち取ったみたいに
無意識に優等生気分になることありませんか?



わたしは、あります。







「運が悪かった」とグチグチ嘆き続ける自分は
あまり好きでなく、気分も良くないから
さっさと切り捨てようとしてしまいがちです。






ところが、気持ちって
そんなはっきり割り切れるものじゃないですよね。

いわば、両方の(矛盾した)気持ちがあるはずです。

「なんて不運な…くそぅ。ああ、でもこれで
済んで良かった。ううっ傷が痛む。
コケたとき恥ずかしかった。
でも、みんなに優しくしてもらえてラッキー。」

と、こんなふうに。

これらは、全部自分です。

なので、これでオッケーだと
わたしは思います。

というか、そう思いたいし

どんな考え方をする自分も

どんな感じ方をする自分も
愛したいというのが本音です。








自分を愛して生きていく

何か物事が起こった時に
色んな自分が出てきますが

そのどれかだけを正解として
自分に不都合な考えや感情をなかったことに
しないようにすることが

人生のゲームのように思えたら
いいなと思っています。







つまり、「愛そう」とする姿勢を忘れない
ということです。










自分の考えていることや感じていることを
一旦は否定せず
そのあるがままを見つめるだけで



その考えや感情たちは
「わたしはここにいてもいい」と少しホッと
できるのでは?とわたしは思っています。






ぼ、ぼくたち…ここにいていいの?





そして、この細かなことを
地味に地道にやっていくことで

自分との信頼関係が回復し
自己肯定感が自ずと上がっていくように
思っています。


このようにして
一生かけてでも、自分を愛して生きていくのが
わたしの人生の目的でもあります。





お読みくださり
ありがとうございました。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ
ブログ村の「ライフスタイルブログ」のランキングに参加中です。いつも応援クリックありがとうございます♡

PVアクセスランキング にほんブログ村

自分を愛する大切さがわかる
わたしのおすすめの1冊です♡

「喜びから人生を生きる!」
アニータ・ムアジャーニ著


コメント