習慣を味方につけて、わたし改革。「内なるスーパーマンを目覚めさせよ」

良き習慣

やればやるほど
習慣が味方になってくれる。

人生がますます充実してきたぞい。

習慣を味方につけた今

目覚ましがなくても
朝5時30分前に目が覚めるようになった。

ベッドの上で軽いストレッチをした後
起き上がる前に笑顔で

「今日も良い1日になるぞ〜。」と
小さな声で言う。

そうすると、パッと目が覚める。






それから、リビングの窓を開け
空気を入れ替えて、雑巾をしぼる。


トイレ掃除からはじまり、床拭き。


それが終わると
レイキの呼吸法と瞑想を
30分ほどかけて行う。


予約していたテレビ体操が始まると
ラジオ体操含め10分間の運動。







次は、お弁当作り
(主に冷食をチンして入れるだけ)と
ブラックコーヒーとトーストのみの
朝食をいただく。


合間には「ありがとう。あいしてる。」を
カウンター片手にぶつぶつ。


洗濯と水回りの掃除を済ませたら
遠隔ヒーリング。








そのあとは、仕事の日は出勤
それ以外の日は、ブログを書く。


夜は、18時ごろ夕飯を済ませ
お風呂に入って、22時には
セルフヒーリングしながら

「今日も本当に素晴らしい1日だったな〜。」

と声に出して、神様やご先祖様に感謝を述べ

楽しかったことや
おいしかったご飯やお菓子のことを
思い出しながら眠りにつく。




と、こんなルーティンで過ごすことが
今では、とっても快適で
1日が充実するようになった。


体の調子もすこぶる良い。





しかし別段
ずっと忙しく動いているわけでもなく

空き時間には、読書をしたり
だらだらとYouTubeやNetflix
prime videoで動画や映画を見ている。

日によっては昼寝もしている。









習慣を味方につける前

習慣を味方につけることなんて
わたしにはできない!

ずっとずっと、そう思ってきた。



実際、以前のわたしはこんな感じだった。

だいたい何をやっても3日坊主だもの。

それに根っこはズボラで怠け者。





だいたい、自分の人生って言ったって
自分の役割をこなすことで精一杯だよ。


一体、何役こなしてると思ってるんだ?!


娘であり、妹であり、姉であり
妻であり、嫁であり、母であり

友達であり、会社では従業員であり
国民であり、家族であり、客でありetc…。


自分であるって
いったいどこのことを指すのだか
皆目わからんようになってしもうたぜよ。







人生って
食って出して寝て、役割を順守して
それで終わっていくのか?



そうか…。
それはそれで悪くない。



しかし、もっとお金持ちの家に
生まれていれば。

もっと美しい外見なら。
もっと人気者だったら。

負のループと、「たられば」が止まない。





その上、時に内乱が起こり

自分のことを「こんちくしょー」
「おめえの努力が足りねえんだよ」と罵倒し

「ごめんなさい。
こんなわたしでごめんなさい。」
と、やり合ったり。


かと思えば妙に開き直るやつが現れて

「なんすか?これがわたしっすよ?
いい加減、あきらめろ。」という始末。







誰かが、何かが
わたしを変えてくれる。


何かの言葉が、誰かとの出会いが
わたしを素敵に変身させてくれる。


その日を夢見て、ベッドでごろごろして
ネットサーフィンしていよう。


ディズニーのプリンセスは一同
王子様の出現で
人生が一変したではないか。


きっとわたしの人生にも
ワンチャンあるかもかも。


さ、その時のために
寝転んで体力と気力を温存しておこう。






ミッション!これを「はら落ち」させよ

そんなわたしが出会ったのは
王子様でも、大富豪でもなく

なんてことない


わたしの内側から出てきた
この言葉だった。






これを「はら落ち」させたから
習慣化することができるように
なったと言っても過言ではない。


それは

「これは自分の人生だ」





「はっ!?にゃんですと?!



わたしの代わりに、わたしの人生を
誰かが生きてくれるわけじゃない。

わたしの人生は誰のせいでもない。

わたしの人生に手を出せるのは
自分しかいない。

自分の人生は、誰かのものではない。

まして、自分の人生は誰かに
見せるためのものでもない。










自分の人生とは
自分が「今」「何をして、何をどう感じたか」
の積み重ねでしかない。



そして、それを知ることができるのは
この世界でたったひとり。

自分しかいない。





(謎に小声)







わたしがチョコレート菓子を
「おいしいな」と食べているときに

隣にいる夫は、同じようには味わえない。

彼はチョコレート菓子を食べて
初めて味わうことができるが

その感じ方は
わたしのものと全く同じとは言えない。




この人生を感じることができるのも
味わうことができるのも
わたし自身しかいない。


その一切の責任をわたしが持てる…。










こんな、スペシャルなことが他にあるか?

いや、ないな。

と言うことは
初めからずっとスペシャルなものを
与えられていたのに


人のことばかり見て羨ましがったり
周りの様子ばかりを伺ったりしてきたのだ。


「わたしは本当にわたしのために
生きてるのか?」

「わたしは本当にわたしのために
生きる覚悟してるのか?」


いかようにも自分で
できることはあるのではないか?

外側に正解や答えばっかり求めて
自分の内側で
自分自身にオッケー出せるのか?


いくら人に「成功ですね」と言われても
自分がそう思えなかったら
なんの意味もないじゃないか。


逆に「失敗ですね」と言われても
自分が「おもしろかった」と思えば
それは、十分意義のある人生になるじゃないか!






まとめ

極論、自分の人生は
自分の責任である。

「こんな不毛なことや、理不尽な出来事が
自分のせいだと言うのか!」と言う声も
聞こえてきそうだが(過去のわたしの声)


そもそも責任って
重くて難しいイメージだけだろうか?


案外、自由で清々しくかっこいい
一面を見逃しているかも。









例えば、スーパーマンが
わたしを守ってくれるとしよう。

「かっこいい♡スーパーマン♡」


しかし、スーパーマンの真のかっこよさは
守ってくれるからでも、強いからでもない。


スーパーマンは「僕の責任は君を守ることだ」
と、覚悟を見せてくれるから
彼に対して信頼と安心が生まれる。

だからかっこいい♡しびれる♡わけだ。




もしスーパーマンが
「己のこの強さとかっこよさを多くの人に
見せつけたいし、モテたいから君を守る。」と
前面に押し出されたら

「あ、間に合ってます。」と
お断りしたくなるだろう。





とにもかくにも

そのスーパーマンが自分の中にもいるぜ
ということ。(パーマンでもいい)



それが、自分の人生の責任の一切は
自分にある。と言ってくれる自分だ。



そのスーパーマンの存在に
気づいた人から

もっと自由にのびのびと
人生を謳歌できるのではないかと
わたしは思っている。


謳歌といっても、もちろん
偉業を成し遂げるとか
大袈裟なものでなくていい。



昨日の自分より、今日の自分を
1ミリ、好きになればいい。
自分への「好き」を積み重ねればいい。

そのために何ができるか
今の自分とよくよく相談して
色んなことにチャレンジすればいい。


「自分の人生は
自分で責任が持てる。」

大丈夫だ。

それは、とても自由で清々しく
かっこいい。





お読みくださり

ありがとうございました。

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