習慣を味方につけて、わたし改革。「幸福は簡単!って言える自分になろう」

良き習慣

どうせ生まれてきたのなら

幸福な一生を送りたい。

もちろんあなたと一緒にね。

幸福な一生を送るためには

幸福な一生を送るのは
実は簡単なのかも知れない。

「幸福な瞬間」を積み重ねれば良いだけだから。


一生とは、自分の人生が終わるまでの
積み重ねた時間のこと。

その一生は、1年の積み重ね。
1年は、1日の積み重ね。
1日は、1時間の積み重ね。
1時間は、1分の積み重ね。
1分は、1秒の積み重ね。

1秒は、一瞬の積み重ねである。








幸福な一生にするために必要なのは
実は、見過ごされがちな「一瞬の幸せ」である。

この一瞬の幸福を感じ味わうことを
なるべく多く積み重ねたら

人生は自ずと幸福なものになるだろう
とわたしは思う。


幸福な一瞬は、一生に大きな影響を与える。


だから、人生において注目すべきなのは
遠い未来の大それたことではなく
なんてことない日々の暮らしの
幸福な瞬間」である。






幸福な「瞬間」というくらいなのだから
この、瞬間に自分がいることが必須である。


しかし、そんなことは、なかなかむずかしい。


だから1日の中での「幸福な瞬間」を
意識する、もしくは能動的に作り出すことでも
十分効果はあると思う。







わたしにとっての「幸福な瞬間」

自分なりの「幸福な瞬間」を作るには

自分が「何に?」「どんな時に?」
幸福を感じるのか

1日を振り返ってチェックしてみるのがいい。








例えば

わたしは、1日の中でもっとも幸福だと
感じる時間がある。

それは、朝のルーティンが一通り終わって
朝食を食べる瞬間だ。

断っておくが別段
豪華なフルーツがつくからというわけではない。

そんなものはつかない。笑


毎朝、同じメニューだ。

インスタントコーヒーをブラックで。
超熟食パン6枚切りを
一枚トーストしていただく。

バリエーションは
それにバターを塗るか
チョコクリームを塗るかくらいだ。


けれど、こたつテーブルに置かれた
安定の朝食を前に

わたしはすごく幸福になる。

「神様、恵みに感謝します。」と思わず
口にしてしまうくらい、幸福な瞬間なのだ。






ただの時間が幸福の瞬間に変わる3つの理由

わたしのただの朝食時間が
なぜ幸福な瞬間になっているのか?

その理由を分析したら3つあった。

1つ目

わたしの晩御飯の時間は
だいたい18時前後である。

なので、翌朝はお腹が空いているので
単純に、おいしく感じること。






2つ目

朝、5時半に起きて一通りのルーティンが
終わった後なので

「今日もやれた!」という達成感と
「朝食兼ひと休み」のご褒美が
セットになって相乗効果を発揮しているから。






3つ目

食べる前に両手を合わせ

「神様、今日も恵みに感謝します。
いただきます。」と

目の前にあるものに「感謝」しているから。






と、まあ、こんなふうに
朝食という、とても短い時間の中で
(わたしは特に食べるのが早い)

幸福を感じる、そして味わう瞬間が
つまっているのだ。


まるで、幸せの福袋である。


で、この瞬間をゲットすると
つまり、幸福を感じる只中(ただなか)
に入ってしまうと、単純だが

まるで自分の人生の全てが
幸せのように感じるのである。(笑)








幸福度アップのために役立つ基礎

わたしの場合の、3つの分析の中に
幸福を感じるために
とても大切な基礎を見つけた。


分析1つ目の中身

わたしたちは、幸せになれないのではなく
とっくに幸せなことに気づけていないだけ?



お腹が空いていることで
いつもの食事が特別においしく感じる。

つまり、普段は特にお腹が空いてなくても
時間が来たら食べている。

普通においしくいただけるが
「めっちゃおいしいやん!むふっ♡」とは
ならないので

幸福度はお腹を減らしている時よりは
下がってしまう。


つまり、わたしたちは普段から
幸せの飽和状態にあるがゆえに
幸せを感じにくくなっているだけなの
かもしれない。






じゃあ、色んなことのレベルを下げて
今の暮らしの幸せを「比較」という形で
感じればいいの?となりそうだが

まあ、それもグッドアイデアである。


しかし、それがどこか強制されたものであったり
「こうすることが正しいから」とかでは
それは、また違う気がしている。

「満足しなきゃ!」「幸福だと感じなきゃ!」と
自分に嘘をつかせるのは本末転倒である。









幸福を感じるセンサーを操作するには
自分なりの試行錯誤が必須だ。


例えば

「チョコレートを食べよう。」

「あ、でも昨日も食べたし
ここは我慢しようかな?」

で、翌日食べたら
「やっぱチョコしか勝たん!」

と普段より幸福に感じるかもしれない。


もしくは、我慢せず今すぐに食べることが

「やっぱ今食べて正解!大当たり!」と
なるかも知れない。


その辺りは「幸福感アップ大作戦」とでも
名付けて、自分なりに押したり引いたりの
ゲームを楽しむといい。






分析2つ目の中身

がんばった後の、ご褒美は価値が上がる。

もし、わたしが起きて、すぐ朝食を食べて
こたつに入ったら…

そこで1日の試合は終了だ。


わたしは「こたつむり」と化し
ネットサーフィンする1日となるだろう。


おそらく、その1日の終わりには
心はモヤモヤし、体もだるいだろうことは
容易に想像できる。






しかし、今のわたしは暮らしに良きと
思うルーティンを続けている。

今ではすっかり勝手に体が動くという
楽ができているが

それでも「やる」という行動は同じなわけで
このやることは、とにもかくにも
やらんと前に進めないのである。


つまり、朝食に辿り着くには
ある意味、ある程度の忍耐の道を
通らなければならぬのだ。





しかし、これがまた幸福度アップに
とても良き一役を買ってくれるではないか。


がんばらずに食べる朝食より
「今日もしてやったぜ!」という清々しさで

食べる朝食&こたつにインする瞬間の
このなんとも幸福なことよ!!






朝食とこたつというご褒美の価値が
忍耐して頑張ったゆえ、爆上がりしている。

こんな幸せの感じ方も、悪くない。










つまり、この2点は

建設的な「我慢と忍耐」の構築で
幸福度をアップすることができるという

わたしなりの考えと、思うところである。






分析3つ目の中身

今あるものに感謝する。

今わたしの目の前に
インスタントコーヒーと
超熟パンのトーストがあるとしよう。

ここで、これは豊かな恵みではないと
判断すれば、たちまち目の前の朝食は
足りていない、十分でないと感じるだろう。


豊かな恵みとは
目玉焼き、ウィンナーやサラダ
ヨーグルトにフルーツという
豪華な見た目なのだと思い込んでいるとしよう。









もちろん、それが悪いということでは決してない。
そう思い込んでいても全然良い。


けれど、よく見れば
インスタントコーヒーやパン一枚も
紛れもない豊かな恵みなのである。


インスタントコーヒーやパンが
このわたしの手元にやってくるまで

どれほど多くの自然の豊かさを享受しているか

どれほどの数の人の手と思いがかけられているか

よく見ればすぐにわかる。









肥沃な大地、日の光、雨
種や苗から育ててくれる人、運んでくれる人
作ってくれる人、並べて売ってくれる人

たくさんの人に簡単に美味しいものを
食べてもらいたいという思い。


これが壮大な恵みでなくて
いったいどの何が恵みになるのだろう?


というわけで

今自分の目の前にある糧を
恵みとして受け取れるか否かで
幸福度は大きく違ってくるのである。







まとめ

「幸せ」とは
客観的に「運が良い状態」に
見えるのであるのに対し

「幸福」とは主観的で
「自分の感じ方」によるものである。


しいては、幸福になるには
自分次第ということにもなる。


これは、何も「自分のせい」という
悲観を誘うものではなく

「自分でコントロールできるかも?」
という希望なのである。






幸福な一生を送るには
究極、最期に幸福だと
感じることができたら良いのだ。


しかし、幸福を感じる心は
日々の小さな積み重ねでしか
手に入らないと、わたしは思っている。


だから、今から自分の幸福センサーを
磨いていくのは非常に有効であると考える。






お読みくださり
ありがとうございました。

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