習慣を味方につけて、わたし改革。「理由もなく苦しいあなたへ」

側から見れば幸せそうでも

20代後半から30代のわたしは

苦しかった。

苦しみを抱えていたわたしに伝えたいこと

何はともあれ

「苦しんでいることは、悪くないことだよ。」

と教えてあげたい。



なぜなら、今から思えば
わたしは苦しんでいることに
正当な理由や説明がいると
思い込んでいたからだ。



理由もなく苦しいわたしは
苦しむことへの罪悪感でいっぱいだった。



苦しさに輪をかけて、わたしを苦しめたもの

①理由もなく苦しんでいてはいけないという悩み。

「なぜ苦しいの?」と聞かれて

「なぜかわからない。自分のことなのに
わたしにもわからない。」


「どう苦しいの?」と聞かれて

うまく説明ができなくて
ただただ孤独感を募らせるだけ。



「特に理由もないのに苦しいなんて
ただの贅沢病でしょ?」

そんなふうに否定されるんじゃないか。


「恵まれない国の人たちに比べたら
そんなの大したことないでしょ?」

と、責められるんじゃないかと
いつもビクビクしていた。



だから、これといった理由がないのに
苦しんでいる自分は間違っていると
思い込んだ。

間違いなのだから、正さなくては
とも思った。







②わたしの考えすぎ、心が弱いせいなんだ。



そもそも、わたしのこの考えすぎる性格が
だめなんだ。


自覚はないが、よく人から
「考えすぎ」とか「深すぎる」とか

どちらかというと悪いイメージで
言われることが多かったため

自分のこの性格がだめなんだ
と思い込んだ。


そして、この考えすぎる性格を
直さなくちゃいけないとも思った。







③暗い、鬱々とした雰囲気は迷惑だ。



常に、明るく元気なことが良いこと。

暗い雰囲気や、鬱々した状態は周りの人に
迷惑をかけていると思い込んでいた。

マイナスがマイナスを引き寄せるなんて
ことも聞くし、わたしのせいで
何か悪いことが起こってしまったら…。

と怖かった。









つまり、総じてわたしは

自分が苦しんでいることに

「罪悪感」を持っていたのだ。


理由もないのに苦しいのは贅沢病。

考えすぎる自分の性格が悪い。

暗い、鬱々とした雰囲気は迷惑。

といったふうに。











もしも、神様が

もし、あの苦しかった時期に

神様が現れて

「理由もなく苦しい?
全然、大丈夫。そんなこと人生あるあるやで。

苦しみ?罪悪感?恐怖心?
ありあり。全然ありやで。」

と言ってくれたら


わたしは「あ、大丈夫なのか。」と
安心して苦しむことに徹することが
できただろう。






そして

「まあ、あのね?
とにもかくにも、あなたは素晴らしいわけよ。

存在だけで。存在だけでだよ。(二回言った)

もうそれは生まれた時から死ぬまで
揺るがない決定事項なわけよ。」

と言われたら?



「ガチか〜。じゃあ、何して遊ぼうかな〜?」

ってなったかもね。







でも、神様が現れなかった

あの頃のわたしに、未来のわたしが

言ってあげたい。









あなたの説明できない、その苦しみ。

全然悪くないからね。


苦しむことは悪いことじゃない。


あなたのその苦しみが
辿り着いた新しい価値観に
わたしは支えられているよ。



ありがとう。




「生きてるだけで、はなまる100点。」


「生まれてくれて、ありがとう。

生きてくれて、ありがとう。

あなたがいると、わたしはうれしい。」



「一生かけてでも、自分を愛して生きていこう。」


お読みくださり

ありがとうございました。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ
ブログ村の「ライフスタイルブログ」のランキングに参加中です。いつも応援クリックありがとうございます♡

PVアクセスランキング にほんブログ村

自分を愛することの大切さがわかる
わたしのおすすめの一冊です♡

「喜びから人生を生きる!」

アニータ・ムアジャーニ著

コメント