習慣を味方につけて、わたし改革。「自我は愛すべき存在」

自分を愛して生きていく

宇宙から見れば、点にもならない存在の
わたしたち。
そんな小さすぎる存在にも
くっついているさまざまな意識。
それはすでに「ある」から愛するのです。

 

このブログでは
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。


 

PVアクセスランキング にほんブログ村

大衆である自分

昨日、YouTubeで1929年の世界大恐慌の
始まりのドキュメンタリーを見ていました。

その映像には、たくさんの1929年当時に
生きていた人が映っていました。



ストーリーの中では、その当時の主要人物の
有名な投資家や政治家などがピックアップ
されていました。







つまり歴史に名が残っている人は
「確かに存在していた」という感じがします。

ところが、その当時の映像に映る
大多数の人は、いわゆる大衆は
本当に存在していたのか、生きていたのか
実感は伴いません。




でも、一人一人をピックアップしてみれば
確かに、それぞれの人生が存在していたでしょう。



その誰もが、自分の人生の主人公で
そして、確かに生きていたのです。

それを見てわたしも
この大衆なのだなと思いました。

自分では、自分の視点から人生を見ていますから
等身大の自分が確かに存在していて
過去も未来も、そして今もあります。

さまざまな経験もあり、思考もあり
感情もあり、肉体的な苦痛もあります。





ところが、わたしがこの映像に映る
大衆を見ていても、何も見えてきません。



この映像に映っているこの時にしか
存在はなく、どんなことを考え
何を感じ生きていたのか、伝わるものは皆無です。

ただ、大衆を昔のフィルムが
落ち着かない動きで見せているだけです。

画像はお借りしました。




自我がなければ味気ない

自分という感覚を知っていて
人生を生きているという感覚を持てるのは
実は、自分だけなのです。

誰も、わたしの代わりを生きることは
できません。

わたしの代わりに経験し、考え、感じることは
不可能です。

至極当然なことのように思いますが
ここは非常に重要であると、わたしは考えます。




だから、自分というものが大切なのだと
思うのです。

そして、同時に不思議でおもしろいのです。

厄介な自分を抱えることもありますが
それはそれで、おもしろいと見ることが
できたら、苦悩も半分になるかもしれません。







わたしは自我を無くしたほうが
うまくいくといった考えに
昔から少し首を捻っていました。

この自我つまり、自分という感覚が
無くなっては、何も面白くないじゃないかと。

「自我を無くす」とは
大抵、苦しみからの解放のために言われることが多く

また「悟り」の観点からは
まるで「自我は悪者イメージ」扱いに

「う〜ん。なんだかな〜。」と思ってきました。






一度、非二元(ノンデュアリティ)の
リトリートに参加した時に
わたしは、自分の感覚で発言しました。


「電車に乗っていて、トンネルに入った時
窓がわたしの姿を映しました。
その時、わたしはとてつもなく
「自我」を愛おしいと感じたのです。」

と感じたことを素直に言ったら

ピントを外している発言のような
微妙な空気感を感じました。

確かに、非二元(ノンデュアリティ)では
「わたしはいない」ので
その真逆の発言は主催者に
?マークをもたらしたのかもしれません。








ただ自分であることはスペシャル

大衆の中においては、もちろんわたしも
大多数=1にまとめられるでしょう。

著名な人物であれば、〇〇さん=1として
ピックアップされるでしょう。






けれど、わたしは大衆の大多数の1人で
ありながら、わたしという感覚を持つ
1人の人間で、人生を持っています。

これは、とっても素敵なことだと思いませんか?


しかも、それは自分によってもたらされ
そして、自分を取り巻く身近な人々によって
もたらされる。

自分とは自分にとってスペシャルな存在だと
いうことです。



大衆にとっては、決してスペシャルでなくても
自分にとってと、周りの大切な人達にとっては
この存在はスペシャルなのです。





「自分」と感じることができるのは
とってもスペシャルなことです。


だから、めいっぱい自分を大切に
生きればいいのだと、わたしは思っています。

ただ自分であればいいと思っています。






生きている自分あっぱれ、あっぱれ

大衆を映した映像には
一人一人の頭の中や、心の色は映りません。

ただ、蟻のような動きがあるだけです。





でも、誰しもの中に善があり悪があり
正しさや間違いがあり
優しさや冷酷さ、悩みや幸せな思い出
孤独や肉体的苦痛など

人間が持てるであろう辛酸甘苦が
詰まっています。


だから、尊い、愛おしいのだと思うのです。

自分が経験した辛いことや
一生懸命考えてやむなく選んだことや
どうしようもなく苦しく心を痛めたことも


全部全部、あっぱれなことです。


だから、自分に「偉いぞ!よくやった!」と
褒めてあげるのは、本当に大切だな〜と
思います。








大衆である自分は、大衆からは何も見えません。

誰かに褒められるのを待ったり
認められるのを求めたりするよりも

今、そして今日生きた自分を
「でかした!」と抱きしめてあげましょう。

そのほうが、なんだか幸せの近道に
わたしは思うのですよ。




いつも、お読みくださり嬉しいです。
ありがとうございました。

また、来てくださいね〜♪
コメントもお待ちしてま〜す♡

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ
ブログ村の「ライフスタイルブログ」のランキングに参加中です。いつも応援クリックありがとうございます♡

PVアクセスランキング にほんブログ村

自分を愛する大切さがわかる
わたしのおすすめの1冊です♡

「喜びから人生を生きる!」
アニータ・ムアジャーニ著




コメント