習慣を味方につけて、わたし改革。「普通の暮らし」

自分を愛して生きていく

 

「普通の暮らし」は

わたしにとっては

決してふつうじゃない。 

「普通」への憧れ

わたしにとっての「普通」を

語るには、わたしの心を騒がせる

「普通じゃないこと」を

あげたほうが、わかりやすい。




物心ついた頃から

「自分」と「わたしの家族」が

わたしの思う「普通」じゃないような

気がしてきた。ずっと。




どこか、世間にうまく馴染むことが

できない違和感があった。


自分にとって安全な場所が確保できず

いつもどこかうっすら

不安や心細さが

心に陰を落としていたように

感じる。




物心ついた頃の

わたしにとっての世間とは

ご近所さんや学校の友達、先生が

それにあたる。





わたしは、両親と兄弟姉妹合わせて

10人の大家族だった。




大家族…

両親の子供時代ならともかく

わたしの子供時代では、珍しくあった。





わたしは、このことだけでも

すでに、周りとの違いを感じていた。





そして、それだけの理由で

なんとなく「恥ずかしい」とも

感じていた。




学校で新しいクラスになったとき

先生は

「ひとりっ子の人?ふたり兄弟の人?」

と順に生徒に挙手を促すのだが



だいたい多くて5人兄弟あたりで

ほぼ全員、手をあげ終わるから

先生もその辺りでこの話題は終わらせる。




だから、わたしが手をあげることはなかった。






たまに、そのことに気づいた先生が

「何人兄弟?」と聞いてきて


わたしが小さな声で「8人…」と

答えると、決まって

「え〜!はちにん???」「すげ〜。」と

教室をざわつかせた。





それがわたしの脳内で

「大家族って貧乏で喧嘩が絶えなくて

部屋が散らかっているんでしょ?」

「なんでもおさがりなんでしょ?」

と変換され

勝手にバカにされた気分になって

傷ついていた。




事実、戸建の平家で

わたしの家族10人での暮らしは


部屋は散らかり放題

兄弟喧嘩は絶えず

母はいつも怒鳴り散らしている。

当然、お金に余裕があるはずもなく

弟妹の立場の者は、だいたいおさがり。






わたしは、周りのみんなと違うことが

とても不安で心地悪かった。

おそらくカッコつけで、理想もプライドも

高かったせいもあるのだろうけど


みんなと違うということは

群れから取り残された動物のように

本能が危険信号を

出していたからではないかと思われる。




母は、体が弱かった。

わたしが3歳の頃

胃の1/2を切る手術をしている。




家にいるときは

イライラして怒っているか

しんどくて横になっているか。




ずっと家にいて

家事をしている印象は薄く

外に出て、宗教法人の活動をしている。

この印象がどうしても強く残っている。




そして参観日、運動会

遠足の集合場所への送り迎え

個人懇談などの学校行事を

満足に参加してくれなかった。





他の子達のお母さんは

皆、熱心に子供に付き添っていたのに

わたしには十分になく
(もちろん他の兄弟姉妹にも)

いつも不安や心細さを感じていたものだ。







そして何よりも

わたしが一番嫌だったことは

個人懇談など決められた時間に

必ず遅れてやってくると言う

ルーズさだった。





わたしより後の順番の母親が

早々に到着しているのに

時間になってもやってこない母。




わたしは先生や周りに人に

迷惑をかけているようで

気が気でなかった。




そして、急ぐ様子も悪びれる様子もなく

遅れてやってくる母を

わたしは苦々しい気持ちで迎えていたのを

思い出す。





それに、母は実年齢より老けて見えた。

まとまりのない白髪、入れ歯

シワの多い化粧っ気のない顔。





わたしは同級生の母親たちと比べて

正直、心のうちで恥ずかしいと思っていた。





母は近所付き合いも

進んでするタイプではなかった。

と、言うより、ほぼしていなかった。




近所の人たちからは

うちの家族は奇異な目で見られていると

わたしは感じていたし

格好の噂話のネタになっていたの

だろうことは想像に難くない。


そして、仲間外れにされている印象もあり

とても悲しかったのを覚えている。


わたしにとっての「普通」

と、こんな環境から

わたしの望む、「普通の暮らし」

は作られていくのである。


だから、「多くの人にとっての普通」への

憧れが人一倍強かったと、わたしは思う。


「みんなと同じかそれ以上か」

そんなことにアンテナを張っていた。



みんな蓋を開ければ多かれ少なかれ

普通でない何かを

抱えているのだろうことは

今のわたしならわかるけれど。


それにしても、わたしほど

普通への憧れを持つ人を

わたしはこれまで出会ったことはない。





まとめると

わたしの心を騒がせない普通とは

健康であること。

衣食住が十分に整えられていること。

つまり、片付いている綺麗な部屋。

清潔な衣類。

時間になれば、ご飯が出てくる。


に加え、ある程度

世間と上手に付き合えること。

愛情たっぷりの子育て。

子供の行事には、きちんと参加する。

外見にも気をつける。

喧嘩や言い争いのない

穏やかな家族関係。

ある程度、お金に余裕があること。
(つまり、苦しい我慢が必要ではないこと)





改めて見ると

なにもかも育った環境と母親の

反面教師である。




わたしが作った家族は

側からみれば

順風満帆に見えるかもしれない。


けれど、実際は

水鳥が優雅に湖面を

行くようにみえて

水中では必死に水かきをばたつかせている。

そんな感じなのだ。



わたしの劣等感は、気を張りながら

「普通の暮らし」にしがみついている。



普通の暮らしの余白で

この平凡な普通の暮らしの中で

子供が成人して、できた余白。

この余白で

ただ愚直に

自分を生きたくなった。





妻でもなく、母でもなく

役割を脱いだ

ただのわたしとして。



特別な才能や技能があるわけでもない。

成功者のようになれるわけでもない。

まして破天荒な人生なんていらない。


そこで、普通の暮らしの中で

良き習慣を味方につければ

わたしは、まだ出会っていない自分に

出会えるだろうか?と

実験してみようと思った。

 



今は天国にいる母も

まさかこんな否定ばかりしてくる

冷たい娘だったとは!と

驚いているかもしれない。


念の為、母の名誉のために断っておこう。

母は、母なりに一生懸命

必死のパッチに

8人の子供を産み育ててきたと思う。



子供(わたし)は、印象的な出来事ばかり

事実として記憶しているので

辛口になりがちだ。




しかし、なによりわたしは

母が大好きだった。


母が57歳の若さで亡くなってから

精神バランスを崩してしまうほど

わたしにとって大きな存在だった。


そして母の心は純粋で美しかった。


(こんなもんでどうかしら?許してもらえるかしら…

ごめんね。お母ちゃん。)

大人の責任

今は、いい時代だと、わたしは思う。


多様性…うんぬんではなく


100円均一ショップがあるからである。

コンビニが24時間営業

してくれるからである。


水道をひねれば

キレイな水がとめどなく出てくる。

夏にはエアコンの効いた場所が

あちこちにあるし、冬も然り。


わたしが子供の頃、夢見た世界が

今ここに「普通の暮らし」として

存在する。







「普通の暮らし」とは、蓋を開ければ

何ひとつ当たり前でない

「天国の暮らし」なのだと

ひとり、ほくそ笑む。






今ある豊かさを

味わえる自分自身を

責任を持って育んでいくのだ。


不平不満を言うのは簡単だ。


普通の暮らしの中で

「幸せであること。」を味わう。

それが大人になったわたしの責任だ

と思っている。


お読みくださり

ありがとうございました。

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