習慣を味方につけて、わたし改革。「神との対話1を読み終えて」

自分を愛して生きていく

「神との対話1」を読み終えて

わたしが聴く神の声を書いてみた。

わたしが聴く神の声もある

神の声を聴く…。

それは、きっと生きとし生けるもの

全てに「ある」ことだと

わたしは思っている。



そこで、わたしが聞く神の声(あえてこの表現)

を、書いてみようと思い立った。



神はあまねく在る。

そして、在るということは

同時にないとも言える。


相対的な世界の何かではないから。


在るのにないなんて

矛盾を感じるだろうけど

証明や説明が必要でなければ

それは全くあるがままである。



あるがままを説明することはできない。

それは、それだから。



神はわたしになにを語りかけたか?

細部にわたり、愛でないものはない。


ただ、一方向から、もしくは片方だけに

視点が行く時は、それは見えないという。



わたしは母を亡くした時に

「神様はいない!」と

自ら神に背を向けた時期がある。


そうすると、わたしの人生は

たちまち暗闇に包まれた。


わたしは、その人生の暗黒期においても

はっきり自覚していたことがある。


それは、暗黒のトンネルに向かって

暗黒を見つめている自分の背中に

燦々と輝く太陽のような

暖かな光があったっていることだった。



わたしは暗黒を見つめているので

暗黒を経験しているが

そればかりが真実でないと

どこかでわかっている。



けれど、背に光を浴びていても

そちらに向き直すやり方が

全くわからなかった。



周りから見れば

くるっと体の向きを変えれば

良いだけじゃないか

簡単なことだろうと感じるのも

今になってはわかるけれど

その時は、できなかったのだ。


できないものはできないんだと

わたしは苦しんでいた。



神はいう。

暗黒に向き合って苦しもうと

くるりと向きを変えて光を浴びようと

さほど、大したことではない。


経験したいことを選べばいい。


ただ、愛から逃れることはできない。


愛は一方向ではないし、どちらか片方を

指すものでもないのだから。



安心して、苦しめば良い。

安心して、焦って沼にハマっていけば良い。


飽きるまで…。





ある夜の決意

わたしは数年もの間

散々苦しんだ挙句

ある夜リビングで猛烈に込み上げる

怒りを感じていた。



そして

「もう自分のためになんて

(すなわち、この苦しみを取り除くために)

生きなくていい!!」



「自分のことなんてどうでもいい!!

ただ、家族のために生きていたい!!」


と、一人泣き叫んでいた。








「家族のために生きる…?」


となれば、なにが家族のためになるのか

わたしは悟った。



わたしが自分を生きることだ。

わたしが幸せに生きることだ。

わたしの笑顔で家族を安心させることだ。



ならば

わたしはわたしを幸せにする義務がある。

わたしはわたしを生きる責任がある。



そして、わたしは

一生かけてでも自分を愛して生きていこう

と決めた。






自分を愛して生きていく

愛は一方向ではないし

片方だけではない。


つまり、わたしはわたしの中にある全てを

愛することに挑戦を始めた。


愛とは存在だ。

愛するとは認める(見て留める)ことだ。



醜い自分、冷酷な自分、極悪非道な自分

差別する自分、情けない自分、弱い自分

ずるい自分、恥ずかしい自分、惨めな自分。


わたしがありえないとか

理解できないと言い放ちながら

しかしそれと出会っている時

わたしは、それが自分のうちにあることを

認める。








わたしには、愛を難しく考える知識も

キャパもない。


至極、単純にただ感じるだけだ。


ただ感じるには自分の中に

余白が必要だ。


その余白は、自分の時間を持つことと

自分の小さな願いを叶え続けることで

生まれる。



決して、他人から貰うものでも

ましてや奪うものでもない。



同じものがあっても

心ひとつでそれは様変わりする。


だから、解釈は自分の責任とする。


普段イメージする重苦しい責任ではない。


責任とすることは同時に自由を得ることだ。

「選択する」自由だ。



わたしは何十年もかけて

自分の解釈を育んできたのだから

その古いものを捨てて新しいものに

入れ替えるのには

それなりの時間はかかるだろう。



しかし、意図しなければ始まらない。


経験を変えるのではなく

経験への解釈を変える。







自分を愛することは、他者を愛すること



自分を愛して生きていこうと決めてから

ずいぶん時が経ったが

これには一度もハズレはなかった。


非常に的を射ていて、際限がない。


そして、わたしは今新たに

自分以外の物や人を

自ら愛していこうと決めている。



愛されるのを待つのではなく

気が合うから愛するのではなく

こちらから、愛していくのだ。



自分を愛して生きていくということは

自分以外も愛して生きていくことと

同義であるとわたしは感じている。


小さなことから

地味に地道にコツコツと。




読んでくださり

ありがとうございました。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ
ブログ村の「ライフスタイルブログ」のランキングに参加中です。いつも応援クリックありがとうございます♡

PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント