習慣を味方につけて、わたし改革。「つぶやき」

自分を愛して生きていく

 

「わたしの持論」

苦労は買ってでもしろ

というが

わたしはそうは思わなかった。




単純に、苦労が報われた場面を

見ることが限りなく少ないことと

苦労だけで終わっていく

大人たちばかり

目にしてきたからである。




けれど、これはわたしの見え方であり

解釈であるから

そこに反論や疑いの余地も

一応は用意している。




それでも、わたしは思う。




生まれてきたんだから

それでいいじゃない。



立派な役割はもうすでに果たしていると

言ってはいけませんか?



「苦労して報われる」より

「笑う門には福来る」と励ましたい。




つまり、あなたがいると

わたしはうれしい。




あなたが笑うということは

あなたである証が

ひらくということのように

感じるのだから。




だから、笑っていてほしい。

この世界も悪くはないよな、と。

まあ、生まれてきてよかったなって。







「反転」

正しいと思うことを

しゃべりすぎるとき


わたしはだんだんと

自分が悪口を言っている気に

なってくる。



これ以外は認めませんって

心を置き去りにした

薄っぺらな言葉がペラペラと

出てきたところで


スッキリするどころか

どんどん心地は悪くなる。



その隣で拡がる

彼の沈黙が

雄弁で説得力があるのが

これまた憎らしい。


わたしも少しは黙っていられたらな。








「母たるもの」

母はどんなやり方で

可愛い可愛い

子どもを自らの手の内から

解放したのか。



そして、子どもたちから解放されたのか。



そんなことを思った。



わたしの思い当たるところ

きっと

母は若くして旅立つというやり方で



子どもたちを解放し

自らの母たる愛憎も

解放したのだろうと。




子どもは可愛くて仕方がない。



つまらぬことでも

子どもに対しては

じりじりと本気になってしまう。



こんな我欲だらけの自分を

一所懸命いさめるのは

いささか骨の折れる

今日この頃である。


「迷子」

いつも、なにか

大切ななにかを

思い出せないまま

わたしはこの世界で生きている



虫の声

雨の音



この手で掴み取ろうと

手を伸ばすけど


近く寄れば

それは虫の声ではなくなり

それは雨の音でさえない



どこから来たのか

すっかり忘れてしまって


迷子になっていることが

悲しくて泣く日もあれば

ずんずん歩く日もある



人に聞いても頼りなく

その人もまた迷い子なのだから

仕方のないことだけれど



わたしはどこから来たのか

すっかり忘れて



こんなところで

心許なく

しがみついてみるけれど




やっぱり

なにか

大切ななにかを

思い出したくて

思い出したくて。





読んでくださり

ありがとうございました。

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