習慣を味方につけて、わたし改革。「読書その2」

良き習慣

 

「読書」の習慣を取り入れてから

何かしらの本を毎日読んでいる。

読み終えた本を記録しておこうと思う。

1冊目から3冊目はこちら ↓ の記事。

 「読書その1」

おしまいのデート(4冊目)

「おしまいのデート」  瀬尾まいこ著



読みやすかった。

物語として特別大きなうねりが

あるわけではないが。


誰しもの人生で

起こる自分なりの印象的な出来事。


ささやかな日常生活のなかで

起こる身の丈にあった出来事。


ふだん取るに足らないと

素通りしていることや

「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」ように

簡単に忘れてしまう出来事。


そういう出来事を

丁寧に切り取ってみると

こんな味の人生経験になるのだと

思わせてくれる。






なるほど、自分の人生経験も

物語のように切り取れば

そんなに悪くない。



拡大鏡を使って

大袈裟に切り取れば

辛さも苦しみも悲しみも

ひとりよがりになりすぎて

少々見苦しい。



けれど本書のように

「わたし」と

ほど良い距離を保って切り取れば

人生は案外バランスのとれた味に

仕上がっていることがわかる。



日常生活の連続が人生である。



日常の退屈な時には

ドラマが欲しいと思いがちだが

本書を読めば

もうすでにドラマのなかに

いることがわかる。



昨日と同じ今日なんてのは、ありえない。

そして、明日も今日の続きではない。

今日には今日の

明日には明日のドラマがある。


昨日までのドラマは

都合良く編集を繰り返されて

ちぐはぐな記憶になってしまう。


人生ドラマは飽きのこない薄味が

ちょうどいい。


この薄味を味気ないと終わらせずに

うまみを味わえる技量を育みたいものだ。


そんなふうに思わせてくれた一冊だった。





ホワイトラビット(5冊目)


「ホワイトラビット」  伊坂幸太郎著



わたしは唸った。

「ゔ〜」という唸りは

決して重いものではなく

どちらかというと爽快なもの。



両手を腰に当てて

「ワッハッハ」と文字通りに

笑ってみたい気分になる。





読み進めていくと

「?」「???」

「!!」

と言葉にならず息を呑む。





ようやく絞り出した声は

「マジかー!!」


落ち着きを取り戻して

「ふぅ〜やられた〜」


なんて油断してると

また、やられる。



これが現実なら

もう一体誰の何を信じればいいのか

わからなくなって

なにもかも放り出したくなるだろう。






とにかく、おもしろい!!


退屈だなとネットサーフィンしたり

YouTubeに見飽きて、それでもなお

スマホを手放せない人に

うってつけの本書。



読み始めればスマホが簡単に

手放せる。


ポポーイのポイッである。


トイレに入るときでさえ

同行していたスマホが

気づけば本書に取って

代わっていることだろう。



それくらい、あっというまに

この世界にハマる。






裏切られ続けて、楽しいなんて

うれしいなんて、幸せなんて!!



とうとうわたしも妙な性癖を

発掘してしまったのか?



いえいえ。

裏切られて

楽しくて、うれしくて、幸せなのは

きっとわたしだけじゃない。


本書を読んでもらえば

すぐにわかること。


そして、こんなにおもしろいのに

プチ教養まで身につくお得さ。


今、わたしは

「伊坂幸太郎氏に出会わない

人生なんて損してる!!」

と大声で叫びたい気分だ。









檸檬(6冊目)


「檸檬」  梶井基次郎著



まず、わたしにとって本書は難しい。


短編集なのだが

実は読み始めて

まだ半分しかたどり着けてないのだ。



そういえば、昔

夏目漱石の「坊ちゃん」を

確かわずか2、3ページで

断念してしまったのを思い出した。


「近代文学」は、読めない漢字

意味の知らない言葉が多すぎて

辞書片手に、勉強のスタンスをとって

読み進めなけりゃ

読んだことにはならないような

気がしている。






わたしなんぞには、到底難しすぎて

今度は本書を投げ出して

スマホをいじりだしたくなる始末。






ところが、この近代文学には

言葉の中毒性があるように思う。


たとえ、わけがわからぬとも

読めない漢字を

すっ飛ばしたとしても


日本語の美しさ、繊細ながらも重厚

高い質、本物にしか放つことができない輝きが


目に見えぬエネルギーとして放たれ

知らぬうちになんとも良い影響を

受ける気がするのだから不思議。




自分では、こんな言葉を操ることは

到底できないのに

日本語として、言葉として

自らの身近に感じることができる贅沢。



わたしの少ないボキャブラリーで

表現をすれば

センスがあっておしゃれ…

になってしまう。






言葉のひとつひとつが、魂を持ち

真っ直ぐに伸びているから

圧倒されてしまう。



本書では、それに加え

詩的な表現が

わたしの魂を震わせる。



実は、わたしは詩が好きだ。

余談だが、昔

自費で自分の詩集を作ったこともある。



詩とは、突如浮かび上がる

「人知を超えた何か」に

言葉をひとつひとつあてがっていくものと

わたしは思っているのだが


当てはまる言葉なんて

そうそう見つかるまい。


さらに、その言葉のなかに

いかにそれを内包することができるか

つまり、言葉の意味に留まらず

その命を吹き込めるか。


本書は、まさにそこが圧巻なのである。


どうして、ここまで正確な言葉を

あてがうことができるのだろうと

感動が鳴り止まない。


しばし、呆然としてしまうくらい。





この世界のもうひとつの顔を

言葉をもって

こちら側に浮かび上がらせる。


そのとき、人は人でなく命なのだと解り

命は悠々と一寸の狂いもなく

瞬間的に爆発していることが解る。


実は、こちらもあちらもない世界を

わたしたちは生きているのだけれど


どうしたって世の中やドラマといった

一方に偏ってしまう。


その偏りをほぐしてくれるのが

詩であるとわたしは思う。





ということで、大変難しい本書。

まだ半分しか読み進めていない本書。


わたしは、繰り返し繰り返し読むことに

なるだろうことを覚悟している。


その度に、古き良き日本語という

言葉のシャワーを存分に楽しもうと思う。





まとめ

読書を習慣にすることに決めてから

それが正解だったと

今のところ強く感じている。


第一に、スマホを触る時間が

格段に減った。




そして、生活の充実感と満足感が

以前より増したようにも感じる。




わたしの推論だが

スマホからもたらされる情報は

常に受動的であるのに対し




読書は自ら読むという

自発的かつ能動的であることから




自分の人生を、自ら創造している

と清々しい気分になれるからでは

ないかと思う。



つまり、読書は心の筋トレにもなり

結果、自己肯定感を上げることにも

繋がっているのかもしれない。






わたしは読むスピードが早い方では

ないので、冊数を重ねるのは時間が

かかりそうだが

読書はずっと続けていきたいと思う。




読んでくださり

ありがとうございました。

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