習慣を味方につけて、わたし改革。「選択する」

良き習慣

慣れ親しんだ考え方を卒業し

新しい考え方を選択し採用する。

ここが天国である理由

あげればきりがないけれど

ここが、すでに天国である理由を

簡単にあげてみる。







朝日が昇る。

おいしい空気が吸える。

蛇口をひねるだけで、綺麗な水が出る。

食べるものがある。(パンがある。米がある。)

快適な住環境がある。

清潔な衣類がある。

健康な肉体がある。

愛する人がいる。

愛してくれる人がいる。

夕日が美しい。








洗濯機、掃除機、スマホ、本など

あらゆる物物が暮らしを便利に

支えてくれている。







わたしはまるで天国にいるようだ。







なにも大袈裟な演技を

しているわけではない。

これは事実だ。

これは今起こっている現実だ。


そしてれっきとした

愛されている証拠だ。


全方位から惜しみなく

豊かさを与えられているのだから。


これを愛と呼ばず、なにを愛と呼ぶのか。






食パン1枚の背景

しっかりよく見れば

必要なものは、必要な時に、必要なだけ

恵みとして与えられていることがわかる。


例えば、食パン1枚が

わたしの目の前に来るまでに

信じられないくらい多くの

自然の恵みや

人の想いや手が

携わっている。



太陽が昇る、雨が降る、肥沃な土地。

大地を耕す人、小麦を育てる人

収穫する人、粉にする人

パンにする人(原料にも多くの人の手が)

運ぶ人、並べる人、レジ打つ人。


そうして、わたしに届けられるなんて

まるでわたしは王様のようだ。






豊かさは恵みとしてすでに

与えられ続けているし

食パン1枚で多くの人との

繋がりを持っている。


誰とも繋がらず

ひとりぼっちになることの方が

難しいともわかる。







もうすでに、わたしに必要なものは

全て揃っている。




わたしがそれに

気づくことができるかどうかの

責任の一切はわたしにある。



気づくことができないから

ダメ、不幸ということではない。


気づくことができる時に

意識的に気づいていけば良い。


自分を責めるために

生きているのではない。


自分を愛して

自分以外の全てを愛することを

チャレンジするために人生はある。


それはなにも

大それた行動のことではない。


恐れより愛を選びたいという

魂の選択なのだ。


起点が愛ならば

転んでも何度でも立ち上がることができる。






選択する

だから、わたしは選択する。

一に感謝、二に祈り、三にユーモアを。


ユーモアはあらゆる恵みのおかげで

楽しく生きていますという恩返しである。


放っておくと頭は好き勝手に

慣れ親しんだおしゃべりを始めるから

その前に、なにはともあれ

感謝を先に述べる習慣を

つけている最中だ。



良いことだからとか

何かに期待して選択するのではない。


ただ、自分の本音に

気づいてしまっただけである。


恐れより愛を選びたいと。


読んでくださり

ありがとうございました。

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