習慣を味方につけて、わたし改革。「もしかして本当は力があるんじゃないか?」

自分を愛して生きていく

無力感を感じる時
生きている意味がわからなくなり
絶望が漂います。
でも、本当は無力なんかじゃなく
ものすごい力があるのかも?

このブログでは
怠け者だったアラフィフのわたしが
良き習慣を身につけ
たら
人生どう変わるかを自らの体験を元に発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方の参考になれば幸いです。


 

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力があると思ってみる

「わたしには力がある」と、思えば
腹の底からムクムクと力が湧いてきます。







逆に「わたしは無力だ」と、思えば
胸の奥がズドンと重くなります。







「力」の定義とか種類とか
そういうものは自分で自由に発想すればいい
と思います。

そして、「力がある」と「無力だ」
どちらを選んでも自由なのですね。









無力感は傷ついた過去

わたしの場合

「わたしは、健康・お金・人間関係に恵まれ
幸せに生きる力がある」と思ったら

「ああ、本当にその通りだな〜。」と
いう気になってきます。

そして、その力があると思えると
安心していられます。






無力感は、傷ついた過去に紐付いています。

元々は「自分には力がある」と思っていたのに
その思いが挫かれる経験が、どんどん無力感を
育てていきます。



そして
いつの間にか、その思いは習慣となり
なんの疑いも持つことはなくなってきます。

「わたしには力がない…。」と本気で信じています。








昨日の自分を持ち越さない

本来、時間の流れは繋がっているのではなく
ぶつ切りになっていると聞いたことがあります。

映画のフィルムは上映すれば
繋がりのある一つのストーリーになりますが
フィルム自体を見れば、繋がっていません。

コマ切れになっています。







実は時間もこのようなものらしい…と考えると

単に時間とは記憶によって
繋がっていると感じているだけ
なのかも知れません。


ということは
昨日と今日を全く別物と考えれば
何だか、おもしろくなってきます。

そして過去の記憶にある「わたし」を
今に持ち越す必要はどこにもないとなれば
全く新しい発想が生まれてくるようにも感じます。


だから
「わたしには力がない…」というのは過去の話で
「わたしには力がある」というのが今のリアルで
いいと思います。









自分の世界くらいは

自分の本来持っている「生きる力」を
自分以外に委ねてしまう時
わたしは「無力感」と「不自由さ」を感じます。

「生きる力」とは、どんな状況であっても
「自分が選んだ」と認めることができること
ではないかと思います。




そうできれば
途端に自由を感じることができます。

そして同時に、自分に力が戻ってくるようにも
感じます。






この世界は、自分の頭の中なのだと思えば
自分次第という可能性が見えてきます。

隣にいる夫が、どんな世界に住んでいるかは
わたしには想像の域を出ません。

それぐらい、同じ世界に身を置いていても
見えている、感じている世界は全然違うのだと
思うのです。



だから、自分の世界を温かな光で照らすために
自分のことくらいは、しっかり見てあげようと
思うのです。

自分を愛して生きていくとは
世界を愛することなのかも知れませんね。

そして世界を愛するとは
自分を愛することなのかも知れません。






今日も、お読みくださり
ありがとうございました♡


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