習慣を味方につけて、わたし改革。「わたしが幸せでなくちゃと考える理由」

自分を愛して生きていく

幸せであろうが、不幸せであろうが
どっちゃでもいいなら
わたしは幸せを選びたいです。

このブログでは
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。


 

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なぜわたしは幸せにこだわる?

実は、わたしは幸せでなければいけないと
思っているタチです。


そりゃ不幸より幸せがいいに決まってるという
率直な考えは、ちょっと横に置いておいて…。

これは、わたしの執着なのか
それとも…。

思い当たる理由を書いてみました。






母を幸せにしたかった

わたしは母の人生の影の部分を
痛みとして持っていると感じています。

母は、わたしにとって「病弱で不幸せな人」
と映っていたからです。





だから、わたしはずっと母を幸せにしたいと
考えていたのです。


その道半ば、母は病に倒れ、帰らぬ人と
なりました。



わたしは人生の目的を失い
途方に暮れ、喪失感とともに
鬱々とした日々を何年も過ごすことになります。



わたしは母が幸せそうなら
どんなに自分が安心しただろうと思うのです。

母が怒ったり眉間にシワを寄せて
しんどそうにしているのは
わたしを大いに不安にさせたのでしょう。



だから、わたしは心配かけないように
自分が健康で幸せでいなければ
ならないと思うようになったと思います。

特に自分の子供に対して
強くそう思っていました。


わたしと同じような思いをさせたく
なかったからです。



けれど、出産直後のわたしの
心身は、なかなか回復せず
鬱々とした日々を過ごしていました。

その状態に焦り、罪悪感を持つことで
さらに苦しみ、症状の回復を遅らせました。






命のデフォルトは幸せ?

わたしが
幸せでなければいけないと思う理由の
もう一つに

命は、幸せであるのがデフォルトなのだから
そのレールから外れてはいけないと
感じてきたことにもあります。







なぜかは、わかりません。

でも、わたしのどこかで
感じているのです。

この世界は素敵な場所だと。

この世界とは「人の世」のことではなく
人知を超えた何かが創る世界であって

それに対しての信頼感という感覚です。







わたしは幸せであることで
命の正しいレールの上にいなければならないと
思う節があります。



そうでなければ
何かが間違っている、ズレてしまったと感じ

一体何がズレているのか?と
自分の中で修正しなければと焦るタチです。







幸せは心残りを少なくする

不幸に見舞われた人が
その後
立ち上がり
自分の人生を強く生きていく様ほど
わたしを勇気づけるものはありません。


そういった意味では、わたしの中で
父はまさしくそういう人でした。

実質、戦争孤児のようになった
不遇な自分を嘆くだけで終わらせず

朗らかに自分らしく強く生きていたように
わたしは感じています。






そういう意味では、わたしの中で
母の死に対しては、ずいぶん心残りがあり
父の死に対しては、母ほどではありません。

わたしが幸せでいなければと思うのは
残された人の心残りを少なくしたいと
いったことにも、あるのかも知れません。


「ヤツは概ね幸せそうだった。」と
思ってもらって

残された人が、1日も早く自分の人生に
戻ってくれたらいいなと思います。






結論は突然に

幸せな人生を求める中でも
さまざまなことは起こります。

この世界は光と影がセットであるように
人生も、幸せと不幸せはセットですね。


生きていることは
そもそも「痛みや苦しみ、つらさ」と
セットです。



わたしたちは、このセットメニューを
注文してきた…(という記憶はありませんが)

生まれてきたということは
果敢にこのセットメニューにチャレンジしようと
したのかも知れません。




なので、人生で起こる
不幸や痛み、苦しみやつらさを
毛嫌いする必要はないのだと


最近のわたしは思えてきました。




時には、自分の手に負えない出来事や

自分のことでありながら
途方に暮れる夜を幾晩も過ごすこともありますが

そんな自分に罪悪感を感じる必要はないのです。

むしろこれらの苦しみやつらい経験は
他者への共感や寛容さとして有効になります。

この共感と寛容を愛と呼ぶのかも知れません。







と、ここまで書いて突然、結論が出ました。


わたしは、何より自分が幸せであることが
愛の証と思っているんだとわかりました。



わたしは愛に生きていたいのかも知れません。
なぜなら、愛は全てを超えるから…。
愛しか全てを超えられないから…。


答えが出たので、今日はこれにておしまいで〜す。










いつも、お読みくださり嬉しいです。
ありがとうございました。

また、来てくださいね〜♪お待ちしてま〜す♡

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