習慣を味方につけて、わたし改革。「トイレ掃除をしていて気づいたこと」

良き習慣

最近、トイレ掃除にハマっています。
トイレが、どこの部屋より綺麗なら
なんだか素敵な気がしています。

このブログでは、
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。


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トイレ掃除は、ディテールをやるほど楽しくなる

わたしの朝一番のルーティンは
トイレ掃除である。

毎朝、やるので特に汚れてもないし
現状維持的な感じでOKを出していた。

ところが、細かいところをよく見てみると

タンク皿に水垢がついていたり
便座の溝に汚れが詰まっているのを発見。

便器の裏にも普通にこすっただけでは落ちない
汚れが…。


普段は起き抜けに、度数の弱いメガネをかけて
掃除しているから、よく見えていなかったらしい。








「あちゃ〜。こりゃ、めんどうなことに
気づいてしまった。」と一瞬思ったが

最近は、気づいたらすぐやることにしているので
もう逃げられない。



しかし
研磨スポンジや固いブラシで掃除をし始めると
思いのほか、楽しくなってきた。

汚れていたところが、キレイになっていくのが
なんとも気持ちが良い。

ピカピカしてくると、周りの空気も
新鮮なものに変わる気がした。






そのうち、トイレで過ごしているのが
快適になってきた。

つまり、トイレという長くいたくない空間
(汚い、臭い)ではなくなってくるのを感じた。

「トイレに住めるかも」と思ってくるほどに
空間の「気」が、軽く爽やかなものに変わった。

「ひょえ〜こりゃ大したもんだ」とわたしは思った。






トイレ掃除と自分の中の見たくない部分

自分を構成している
持って生まれた気質や育まれた性格や癖は
ホント様々である。

「これがわたし」と思っているのは
ほぼ、代表的な慣れ親しんだ気質や性格であって

それらが全ての自分を言い当てているわけではない。









つまり、簡単にいえば

長所も短所もあるし
優しいところや冷淡なところもある。

器用にできることもあれば
不器用にしかできないこともある。

そして、それらにチャレンジしたり
しなかったりと、これもその時々で
様々である。


で、何が言いたいかというと

自分の見たくない部分
でも良く見れば確かにある好まない部分と


トイレの普段見えざるディテールの汚れとが
似ているなと感じたのである。









自分の中にある、見たくない部分を見て留める
(光をあてる)ことは

トイレのディテールの汚れを
掃除するのと同じな気がしたのである。


わたしはディテールを掃除することで
トイレに住めるかも?と思えるほど
トイレ空間の「気」が軽やかで清々しく変わった
のを感じた。



このことから

自分の見たくない部分を見て留める(光をあてる)と
自分自身も同じように軽やかで清々しくなるのでは?

と思ったのである。



つまり、自分の中の見たくない部分や嫌な所に
しっかり光をあててやると(浮かび上がらせると)

それも含めた自分であることが
「なんだか、いいかも」
という気になってくるように思うのである。







まとめ

掃除は、淀んで動かなくなった「気」を
動かし、循環させることで軽やかになっていく。

軽やかになれば、気分が良い。

これと同じように、自分の中にある
見たくない部分も、しっかり見て留めることで

抑圧から解放された(つまり掃除された)
「気」が動き、軽やかになっていくのでは
ないだろうか?



そして、この気分の良さ、軽さこそ
「運」なのじゃないかと
わたしは思ってきたのである。

だから、掃除をすれば運が良くなるのは
自然の摂理なのだとハラ落ちした
今日この頃である。








お読みくださり
ありがとうございました。


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