習慣を味方につけて、わたし改革。「人間関係の悩み」

自分を愛して生きていく

人間関係の悩みから解放される

わたしなりの方法を

書いてみようと思う。

サレンダー(降参)からの〜

まず、人間関係の悩みを無くしたい
と思うことを…


あきらめよう。



人間とは「人の間」と書く位だから
人から逃れることはできない。

人が人といる限り
それにまつわる悩みも
生涯セットなんだと
あきらめて、降参しよう。

NO Human、NO Life With Worries。

Surrender。。。








とはいうものの

人間関係におけるストレスは
大きいより、小さい方が良いし

障害の多い関係より
円滑にいく関係の方がいいに決まっている。

と、わたしは思っている。






人間関係を円滑にするための、3つのコツ。

その1

相手のことをどう感じ、どう考え
どう思い、どのように接するかの
一切の責任は自分にあることを自覚せよ。

その2

人間関係は、つまるところ
自分関係であることを知れ。

その3

自分の本音を感じろ。








コツその1

相手のことをどう感じ、どう考え
どう思い、どのように接するかの
一切の責任は自分にあることを自覚せよ。


これは、端的にいえば

わたしたちは、おそらく例外なく
自分の世界で、相手のことを
決めているよということ。




例えば

わたしが「あの人はやさしくない。」
と感じたとしよう。

けれど、これはたったひとつの
事実ではない。

わたしにとっては
リアルな事実であるように感じるが

他の人にとっては
また違うリアルと事実があることだろう。


わたしにとっての経験が

「やさしくない」と不快に感じ
「わたしの何がいけないのだろう。」
など考え、思い巡らせ

自分の価値観である
「人としてやさしくあるべきだ」
を基準に相手を裁き
距離を取るようにする。

わたしが距離を取る理由として
「あの人は、人としてどうよって思うから。」
と正当性を主張し収めようとする。



しかし、その人がわたし以外の
他の人には愛想良く
やさしく接しているのを見て

(なぜ、わたしだけこんな扱いを受ける)

と憎々しく感じたりしている。


自分を守るために心の中で
必死に相手を排除しようと
関わらないようにしたり
無視したりする。


と、こんな一連の流れを見てみると

これは、一体どこで起きていることなのか?

間違いなく「わたしの内側」
「わたしの頭の中ないし感情」

つまり、「わたしの世界」で
展開されている一部始終であることが
わかる。






これはなにも

こんな自分の考え、思い、感じ方
行動が悪いよねとか
ダメだよねってことが
言いたいわけでは、全くないので
誤解のないようにお頼もうす。

(これはこれで、よし、なのだ。)




私たちは、自分の周りにいる人が
どんな人かは、本当のところは
ほとんど知らない。


この人はこういう人だよね。
など自分なりの感想を持っていたり

たまに数人の意見が合致するような
こともあるだろう。


けれど、その人の全てを
知っているわけではない。

知りようもないのだ。

(一緒に暮らしている夫のことさえ
知らないこと、わからないことだらけ!)







それを大前提に置けば

起きたことはリアルな
ひとつしかない事実に見えるが
実は、そうでないのかもしれない。


「相手を判断しているのは
自分の過去の経験から培った
価値観や、思い込みである。」

と、自覚することで

相手を変えたいと向けていたベクトルを

自分の解釈を変えることはできないか?

という方へ向けることができる。







これだけでも、かなり楽になるはず。

なぜなら、根本の「問題」は
自分の手の届かない外側に
ある訳ではなく
自分の内にあると気付くからである。


「ああそうか。これはわたしが
考え、思い、リアルに感じている
ことであるが

これはわたしの内側の世界で
起こっていることであり

たったひとつの事実(真実)
ではないのだな。」


とわかるからである。



自分の世界で起きていることなら
自分で変えることもできるのだ
という選択が生まれる。


わたしは


その人のやさしくない部分だけを
嫌悪して、自分の心の平安のために
距離を取るもよし。

良い面も見てみようと
一旦保留にするもよし。



つれなくされても
わたしは好きでいよう
片想いでもいいや…と思うもよし。


大切な自分のために

自分が本当に望むことをしてあげれば良い。

あくまでも、自分の世界(内側)で。








コツその2

人間関係はつまるところ
自分関係であることを知れ。




これは、「コツその1」の
自分の内側の世界が
この世界を解釈している
に通づるものである。


自分の世界とは
自分の過去の経験により
培ってきた自分の価値観のことである。



自分の世界がやさしく温かいものであれば
この世界のやさしく温かいものに
目がいくことのほうが多くなるだろう。

結果、この世界はやさしく温かいものに
なるだろう。







自分の世界が厳しく殺伐としていれば
この世界の冷たさや残酷さばかりが目に入り

結果、この世界は非常に生きにくい
殺伐とした世界になるだろう。










ということは

自分の世界を(内側を)
自分の望む方へ舵を切れば良い
ということになる。



さて、自分の望むものとは、なんぞや?


それを知らなければ舵の取りようがない。






例えば

わたしは
やさしくて温かく、楽しい世界が好きだ。


やさしくて、温かい。。。で
思いつくのは愛だ。


そうだ、自分を愛して生きていこう!
たとえ世界中の人が敵になっても
自分だけは自分の味方でいよう。

一生かけてでも。


最初は、自分をねぎらい、褒めちぎり
よいしょしてご機嫌をとってきた。

そしてどんなことを考えようが
思おうが、感じようが否定しない。

「うん、うん、なるほど」
「わかる、わかるよ」と
相槌をうちやさしく温かく見守る。


そうしていると明らかに

自分の世界(心の中、内側)が
平和になるし、安心で安全な場所に
なるのだ。


平和で安心安全な場所になれば
心ものびのびしてくる。

心がのびのびすれば
余裕ができるので
人間関係も円滑に進めやすくなる。






自分を愛することで
人間関係に求めがちな

「わたしのことを愛してよ」

という枯渇した心の状態から
解放されるからである。






自分のことを大切に扱い
愛していると、自ずと人のことも
大切にしたいと思ってくるから
うまいことできているなと思う。


人に愛してもらうのを
まだか、まだかと待つよりも

さっさと
一生かけてでも自分を愛して
生きていこうと決めることのほうが
断然早くて易い!

とわたしは実感している。



自分が自分の最愛の人になり

自分が自分の最高の友になればいいのだ。


自分との関係が良くなればなるほど
あら不思議、他の人たちとの関係も
実にハートフルになってくるものだ。


自分を愛することと
他人を愛することは
切っても切り離せないのだと

わたしは思っている。

コツその3

自分の本音を感じろ。


わたしにはこんな経験がある。

弟が若くして自死したのだ。

わたしと弟は特別仲が
良かったわけでなく
どちらかといえば、そりが合わず
喧嘩もよくした。

わたしは決して良い姉ではなかった。

その知らせを受けた時
わたしは腰が抜けて
息ができなくなった。

まさか自分の人生でこんなことが
起きるなんて!というショックもあった。


取るもの取らず電車に飛び乗り

弟の亡骸を前に
わたしは大きなショックを
受けていた。


それは全身全霊で

「わたしは間違っていた!」

と感じたからである。


と、同時に

「生きているだけで良いのに!!」

と叫んでいた。



わたしは「人」が
その「存在」だけで、とてつもなく
わたしの大きな力になっていることを
全身全霊でバーン!!と実感したのだ。











それまでのわたしは
「正しく生きていること」が
大事だと思っていた。


でも、もっと大事なことがあった。

「いてくれること
生きていてくれること。」



正しく何かの役に立たなければ
生きている価値はない?

とんでもない!!

これは間違いなのだ。

わたしの大きな間違いだった。







生きていれば、そりが合わず
喧嘩したり、迷惑をかけられたり

いつもこちらの積み上げてきたものや
努力をぶち壊されると感じたり

祈りが全く届かないと
歯痒い思いもするだろう。

いっそう、縁を切りたいと
思うこともあるだろう。






でも…

わたしは、愛していた。


どうしたって大事だった。

愛しているからこそ
楽に幸せに
生きてほしかった。

愛している人が幸せそうだと
うれしいもの。


こればかりは、理屈じゃない。
わたしは愛しているのだ。

わたしは、この本音を感じた。

自分の本音が「愛」だと知った時
わたしは、大泣きに泣いた。


そして、もうこんな間違いは
したくない…とも強く思った。


間違いとは
自分の本音に気づかず
生きること。

わたしの中に、愛がある。

この愛を自分の中心に持って
この本当の音を聞きながら
生きていきたい。

そう思った。






わたしは思う。

人は皆、本質は同じだと。

それは、愛である。

自分の本質
つまり本音である愛を無視しないこと。


これは、人間関係のみならず
生きていく上で
大きな力になってくれると
わたしは感じている。




自分の中に愛はない?

そんなはずはない。
現に今、こうして
このブログを読んでくださっている。

ということは生きている。


あなたが生きているということは

すでにあなたは「愛」であるということ。


それは、わたしには、はっきりわかる。



自分の本音が感じられない?

いいじゃない。焦らなくてもいい。

本音を感じると確かに幸せだけど
感じられなければ
幸せになれないわけじゃない。


あなたが生きている。

それはもうこの世界の喜びであり

あなたの存在はすでに
本当の音を奏でている。

あきらめず耳をすませば
きっといつか聞こえる。









まとめ

人間関係の悩みから解放される

わたしなりの方法。


まず、人間関係の悩みは

多かれ少なかれ

一生つきまとうものと降参し

ゼロにしようとすることは

あきらめよう。



その上で人間関係の悩みを軽くする
3つのコツがこちら。

その1

相手のことをどう感じ、どう考え
どう思い、どのように接するかの
一切の責任は自分にあることを自覚せよ。


自分は弱く被害者で力がない
という思い込みから脱却し
自分を大切に扱う力を取り戻す。


その2

人間関係は、つまるところ
自分関係であることを知れ。


生き方の基盤として
一生かけてでも自分を愛して
生きていくことで
人も愛することができる。



その3

自分の本音を感じろ。

本音は本当の音。
本当の音はやさしい音。

その音は、胸の鼓動として
いつでも聞くことができる。

生きていることは
すでに愛である。







最後に、補足として

どうしても辛い場合や

身の危険を感じるようなほどの

人間関係の悩みであれば

大切な自分を最優先し

そこから離れることを

おすすめする。








生まれてくれて、ありがとう。

生きてくれて、ありがとう。

あなたがいると、わたしはうれしい。








お読みくださり

ありがとうございました。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ
ブログ村の「ライフスタイルブログ」のランキングに参加中です。いつも応援クリックありがとうございます♡

PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント