習慣を味方につけて、わたし改革。「こどもの日に、ちなんで子供の頃の話」

自分を愛して生きていく

今日は子供の日ですね。
考えてみれば、子供の期間って
とっても短いです。

なのに、記憶としては一番色濃く
残っているものです。

 

このブログでは、
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。

 

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百均がなかった昔のこと

わたしが小学生の頃は
100円均一ショップなどなかったし

今のように安く簡単に物が手に入る時代では
なかった。(昭和50年代)

そんな中でも、わたしは当時では珍しい
8人兄弟の10人家族。



友達のように、流行りのおもちゃや文房具など
そうそう買ってはもらえなかった。

まあ、それは致し方ない。

わたしの生まれ育った家は
そうだったのだから、よしとしよう。

しかし、子供の頃に経験した
物にまつわるエピソードは、未だ鮮明に記憶に
残っている。







学校からの無理難題な持ち物

小学生の頃、学校への「持ち物」のなかに
無理難題な物が、いくつか出される時があった。

いや、もしかしてわたしだけが無理難題と
感じていただけかもしれないが。






◯ラップの芯。

◯かまぼこ板
無ければ、かまぼこ板ぐらいの
木切れを持ってくる。

◯マジック(黒)かサインペン。

◯コルク。




当時の、何かに憑依されたような
ど汚い字で書かれた連絡帳↓

サインペンがサインパンに…どんなパンや?



わたしにとっては
これらの物は非常にハードルの高い
「明日の持ち物」だったのだ。





当時のわたしにその理由を尋ねよう

だって、ラップなんかないもん。

うちは、ご飯には新聞紙かぶせてる。





かまぼこ板?
そんな高級なお品、うちにはございませんで。

どの家庭にも常備してある体で
しれっと持ち物に出してるけど

そもそも、みんなんち(みんなの家)
そんなタイミングよく、かまぼこ食えるんかーい?

ほんで?なになに?
かまぼこの板が無ければ?
それ相応の木切れを持って来いだと?


かまぼこ板よりハードルあげてどないすんねーん!
代替案の方がむずかしいわ!!






マジックやサインペンなんて
兄弟姉妹の5番目のわたしに回ってくるかいな。

例え、兄弟闇市で手に入れたとしても隠し持つわ。
口割らんわ。いや、それ以前にないわ!!


コルク…

でた!一番難易度高いやつ。コルクて。。。
絶対無理ゲーやん。

今、日本酒の蓋しとんねん。




と、まあ、当時のわたしにとっては
恐怖の持ち物たちだった記憶が
強く残っているのである。



記憶消しの術





忘れ物をしたくない少女の末路

「明日の持ち物」が十分に準備できないのに
わたしは絶対忘れ物をしたくない
性格の持ち主だった。

で、ラップの芯がない時は

(お腹痛いと仮病を使って
ラップの芯を使う図工の授業が終わる頃に
登校しよう)

と我ながら良いことを思いついた。



ところが、わたしはミスって
図工の授業中に教室に到着してしまった。
(なんでやね〜ん、時間配分〜)







先生に「お腹が痛くて遅れました。」と
言うと

先生は「あら大丈夫?」とやさしく心配してくれた。

(よっしゃこのタイミングや。いける。)


と、狙ってラップがなかったことを
伝えようとしたが



なぜか、くだらないプライドが邪魔をして
「うちにラップはありませんでした。」とは
言えず


「ラップの芯、忘れました。」と言ってしまった。


そして、わたしはめでたく忘れ物をしたことを
叱られたのである。






ちなみにくだらないプライドとは
「ラップが買えないほど貧乏な家だと
思われたくない。」だった。


「ラップくらい買えますとも、ああ買えるさ。
100個でも200個でも買える
さ。」





こんな見栄を張りたいプライドと
ハングリー精神は
今も、わたしのお腹の底に眠っていることだろう。




そして、わたしにとって
ラップの芯やかまぼこ板、コルク、サインペンは

今でもお宝に見えて
毎回捨てるのを躊躇してしまうのである。







物が持つ本来の豊かさを受け取りたい

今は、百均もあるし、可愛くてセンスの良い
文房具や雑貨、はたまた洋服に至るまで
子供でも手の届く価格で売られていたりする。

ほんとに、良い時代になったものだ
と、わたしは感じている。






しかしその分、物の「お宝感」は
多少減ってしまったかもしれない。

わたしは、今やミニマリストに憧れて
日々、物と向き合う生活をしているが

もしかすると、あの頃のように
心底自分を満たしてくれた物との関係性を
取り戻そうとしているのかもしれない。

それには、物を多く所有することは
妨げになるのだろう。

果たして、本当に必要な物と、好きなものに
囲まれて生活できる日が
わたしにやってくるのだろうか。

楽しみである。



今日はゴミ捨て行ってきた

 




お読みくださり
ありがとうございました。


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