習慣を味方につけて、わたし改革。「幸せになりたいのなら、この1本を足そう」

良き習慣

幸せになるのに
環境や条件に縛られてしまうことはない。

それよりも、さっさと
「欠けている1本」を足そう。

「辛い」と「幸せ」

辛いの「辛」に、1本線を足すと「幸」になる。

辛いの「い」に、1本線を足すと「せ」になる。

「つらい」の三文字に1つ足して「しあわせ」とする。



どうだい?
「なんてこじつけだ!」と思うかな?


わたしは、これが閃いて楽しいぞ。







欠けている1本とは?

そんなことより

この1本とは何を指すのか?



それはこの一択だ!!

「感謝」



辛いに感謝を足せば

誰もがたちまち幸せになる。



わたしはそう思っている。


でも「感謝」と聞くと
どんな印象を持つだろう?



「でた!また優等生のやつやん。」

と、思うだろうか?

「あ〜はいはい。いつものやつね。」

と、あくびが出るだろうか?






確かに

わたしも、感謝という言葉を発すれば
途端に仰々しさと
よそよそしさを感じてしまう。


「感謝してるとえらい」みたいな。

「感謝できる人は立派」みたいな。


日常に親しみを覚えるというよりも
特別なこととして扱われている
違和感を大いに感じる。







わたしの中では、感謝とは

もっとラフで、イケイケで
日常にこそ、あたりまえに
使い倒したい言葉や思いなのに。

「まじ、ちょーありがて〜」

「うわ!最高かよ!」

を連発する日常。



言葉が軽すぎて
偉い人に(誰?)怒られそうだが…。








つまり、感謝とは

感謝とは

「今、あるものに目を向けて喜んでいる」
状態であり






辛いとは

「足りないものに目を向けて嘆く」
状態のことである。







いずれにしても、状態であり
正解でも答えでもなく
当然ありのままの真実でもない。


けれど、この状態の
どこをみてどう思い
感じるのかは自由だ。


自由なのだから
どっちを選択するか?だけの話。


わたしは幸せの方が好きだから
今、あるものに目を向けるようにしている。


そうすると、これがどんどん
自分の中で事実になってくる。







例えば、

わたしの冬の寒さをしのぐアウターは
実はユニクロのダウン一枚だけだ。


仕事場に行けば
素敵なコートを羽織っている人や


毎回違うアウターで
おしゃれに着こなしている同僚がいる。


そんなオサレな人たちを見て

「い〜なあ。わたし、これしか持ってないもんな。」

「やっぱりコートもあったほうがいいのかな…」

と、思えば

自分のダウン一枚が
たちまち足りていないアイテムになる。



ところが、外で冷たい風が吹いてきて
ダウンを首元までぎゅっと掻き合わせる時

「ああ、このダウンがあって本当によかった。
これがなけりゃ地獄じゃん。」

「ありがたや、ありがたや。」

「一体、どんな人がこんな素晴らしい
ダウンを作ってくれたんだろう。

軽いし、温かいし。

この冷たい風を
わたしの肌に触れさせるものかと
ブロックしてくれている。

ああ、なんて幸せなんだ。」



「わたしはきっと今
世界で一番幸せものに違いない。

ああ、神様、ユニクロ様
ありがとうございます。」

と、こうなる。








自分が足りないと嘆くか

ありがたいと喜ぶかで

ダウン1枚のわたしの人生は
辛さにも幸せにも、変化するのである。




まとめ

辛さに感謝を足せば

たちまち幸せになる。



感謝とは、今あるものに目を向けること。

そして、それらを喜ぶこと。



これをゲームみたいに楽しんでやれば
あっという間に幸せになれる。



そして、わたしは言葉の力を
大いに活用している。


心の中で感謝を言うも然り
言葉に出して言えば、もっと自分に
実感をもたらすようになる。


「うれしいな。ありがたいな。

わーい、わーい。最高だね。」

「神様、ありがとうございます♪」


そして、最強の締めの言葉はこれ。

「今が一番幸せ♡」


読んでくださり

ありがとうございました。

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