習慣を味方につけて、わたし改革。「自信なくてもええじゃないか」

自分を愛して生きていく

洗い物をしているとき
ふと、思いつくことがあります。
洗い物って、なんか瞑想みたいな
状態になるのかな〜?

このブログでは
怠け者だったアラフィフのわたしが
良き習慣を身につけ
たら
人生どう変わるかを自らの体験を元に発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方の参考になれば幸いです。


 

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自信なくてあたり前田のクラッカー

もう何十年も生きてきたのに
いまだに全然自信がない…と考えて


ふと
「そりゃそうだ。」と思った。



自信がないのなんて、当たり前のことだった。

だって、生まれてから、まだ死んだことないから
「生きる」ことを最後までやったことないのだもの。

経験のないことに自信を持つのは
なかなかハードルが高いよな、と思った。









だから、今、生きていて
「生きること」や「生き方」について
自信がないのがフツーなんじゃないかと思った。

そして、いつだって「今」は
「今のわたし」にとって初体験ばかり。

自信がなくて当たり前。
ドキドキしていて当たり前なのだ。











わたしは、どんな生き方をしたとしても
いまわの際には、後悔する自信だけはある。







存在なんて愛してなんぼ

自分を愛して生きていくことは
とても大切なことだと、わたしは思っている。

たった50年生きてきただけの、わたしの
「今」出ている答えなのだけど。


そして、これは「絶対解」などでは
もちろん、ない。



人生のたった一つの側面
薄い皮の部分に、わたしは自分の価値観を
貼り付けただけに過ぎない。

わたしは、わたしなりの経験に基づく
わたしにとっての真実を書いている。









だから、人によっては
自分を愛して生きていくことが

自分をダメにしてしまったり
人生をつまらなくしてしまったりするケースも
あるのだろうと思う。


それでも、わたしが自分を愛することの
大切さを伝えたいわけは

それが、見えるからである。








「それ」とは、存在の素晴らしさである。


あなたの存在の素晴らしさでもある。

どうして、嫌う必要があるだろう?
どうして、他の人に委ねる必要があるだろう?
こんなに、素敵な存在なのに…。

なんて、つい思ってしまうからなのだ。






慈しめば救われる

慎重に細い細い糸のような
わたしの中にある感覚を手繰り寄せると
それはある。

本当は、何もかも全てが
傷つかない場所にしかいない。






例えば、不幸せであっても
それは…不幸せという紙切れを
ゼッケンのように貼り付けただけに過ぎず
わたしが真実ほんとうに不幸せになることは、あり得ないのだ。

けれど、ここでは何にでもなれる。

幸せにでも不幸せにでも、悪にも善にも。

なぜ、それは現れることができるのか?

それは、現れる前の土台があるからだ。

現れるということは、その土台のお墨付きなのだ
とわたしは感じる。

つまり、現れることができるという許しが
すでにあるのである。






人間は言う。

不幸せより幸せでなきゃ。
自ら命を絶ってはいけない。


では、もう、それが現れてしまった人は
どうすれば良いのか?


「それは間違い。こっちが正解。
ああすればよかった。こうすればいい。」と
いうのは、人間だけ。







それが現れる前の土台は、どんなことであっても
祝福するだろう。愛するだろう。赦すだろう。

だから、私たちは傷つかない。
初めから真実ほんとうに傷つける場所になんかいない。



と、わたしは己の感覚によって感じるのである。


もうすでに現れているものは
憎しみの対象ではなく

どこまでも慈しみの対象であることで
生きていることが
ようやく救われるのである。



 





今日も、お読みくださり
ありがとうございました♡


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自分を愛する大切さがわかる
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「喜びから人生を生きる!」
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