習慣を味方につけて、わたし改革。「自分を愛するための大切な基本ルール」

自分を愛して生きていく

自分を愛する方法で
わたしは基本的なルールを決めている。

その上で、本やブログで教えてくれる人達の
やり方を参考にし

試行錯誤しながら
自分に合った方法を見つけてきた。

わたしが決めている基本ルール

わたしが自分を愛するために
決めている基本ルールは

「自分を否定しない。」

である。






わたしが自分を愛して生きていくと
決めてから、もう何十年もたつが
最初からうまくいったわけではない。


その時の自分に合わせて
試行錯誤していたので

今から振り返れば「失敗」も
たくさんしてきた。





でも、その中でも、これは絶対外せない
という基本ルールがある。

それが「自分を否定しない」だ。



自分を否定しないとは

自分の何もかもを受け止めて

受け入れて肯定していくということではない。



自分の過ちを「いいよ。いいよ。」と
肯定していくだけのことではない。
(時に荒治療的にそうすることもあったが)


自分を否定しないとは

自分の考えや思いをジャッジなしに

そのまま「みる」ということである。







この自分をみる自分をどうやって
身につけてきたかというと

方法の一つとして
最初のころは、自分の考えが頭に浮かぶと
その語尾に「と、思いました。」とつけることで

自分にべったりくっついている考えや感情と
距離をとってきた。







だって正しくないし、バチが当たるから

これをやるまでは
自分の頭に浮かぶ考えや感情は
全部「自分のせい」だと思ってきた。


子供の頃は、何か悪い考えが浮かぶと

「自分はなんて冷酷で卑劣なのだ。
こんな自分は間違っているから
正さなければならない。」と思った。


清く正しく、正直であることが
人間の正しい姿だと信じてきたのだ。





わたしがこんな悪いことを考えてしまうのは
間違っているのだ。

こんな考えは自分から取り除かねば。


「これはあってはダメなものだから」
などと考えてきた。

だってバチが当たるから!!

と、本気で信じてきたし怖がっていた。










自分の信じてきたことへの不信感

ところが、大人になって
自分の思い通りにいかないことが多くなり

清く正しく正直に生きていても報われず
むしろ損することの方が多いようにも
感じていた。


ズルしても、悪口言っても
楽しそうにしている人はたくさんいる。







それを目の当たりにして
心がモヤモヤすることが多くなっていった。



そして、極め付けが母の死だった。

母の死は、自分には「起こらないこと」だと
思っていたし

母の病気は奇跡が起こって
助かるとも思っていた。


なぜなら、母は清く正しく
人のために生きてる人だから救われると
思っていたのだ。

ところが
わたしの楽観的かつ希望的観測は
絶望へと変わった。









わたしはその時
「神様はいない!」と猛烈に怒っていたのを
覚えている。


「なぜ、母もわたしも正しく生きているのに
こんな罰を与えられるのだ!」と思ったのだ。






そして、わたしは神様に背をむけ
自ら、真っ暗闇のトンネルに向かって
進むことになるのである。

(わたしは特別な宗教を持っているわけではないが
便宜上、わたしたちを生かす大いなる何かを
神様と呼んでいる。)




こんな背景のもと
わたしの人生の暗黒期が始まっていくのである。







受け入れ難い自分は、わたしじゃない

人生の暗黒期にわたしを苦しめたものは
自分の中にいる、醜く恐ろしい自分だった。

自分の望まない思考や感情が
勝手にひとりでに暴走する。







わたしは、まるで自分を
乗っ取られたかのように感じていたし

自分を取り戻すために
思い通りにならない思考や感情と戦っていた。








自分の思い通りにならない思考や感情は
わたしのものではないと否定し

どうにかして戦いに勝って
(正しさとポジティブシンキングを武器に)
どこかへ葬らなければならないとも考えていた。



ところが、戦えば戦うほど
否定すればするほどに

相手(暴走する思考や感情)は力を持って
どんどん巨大な黒い雲のように
わたしを覆ってしまう。





怖い。苦しい…。










誰かに話せば
「頭がおかしくなっている」とか
「心を病んでいる」と決めつけられて

わたしは、もっとわたしを失ってしまう
取り返しがつかなくなると思い込み
人にも話せなかった。

そして、理解されないとも感じていた。





自分の中の戦いを終わらせる

あるとき、わたしは猛烈に怒っていた。


何年もの間
自分の中にある悪魔のような存在を
どうにかしようとあの手この手で戦っても

パニックのような症状も
恐怖も苦しみも消えなかったからだ。








そして、怒りに怒った末に

「もう、自分の中にいる悪魔のような存在の
ことなんてどうでもいい。」

「もう、勝手にしたらいい。
あんたにばっか、かまけてたくない。」








「それより
わたしを思ってくれる夫や娘のために
わたしの人生使いたい。」と思った。

「もう、勝手にせい!降参じゃ!」
と心底、疲れきって白旗をあげたのだ。







実は、自分の中に全部ある

降参して、ずっとしばらくして



自分の中には

良い考えや、優しい気持ち、ポジティブな時
悪い考えや、冷酷な気持ち、ネガティブな時

なんでも全部あるんだなとわかった。

そして人生にも

幸せな時も、そうでない時も
嬉しい出来事も、悲しい出来事もある。


そして

これはあっていいんだな
(嫌なもんは嫌なんじゃという気持ち

と思えた時、わたしは自分の中の戦いを
終わらせることができたと感じている。





「自分の中に、どんなものも全部ある」



人としてこうあるべきという姿を
追いかけてきたわたしが

今では、人は生きてるだけで
大したもんだと思っている。




まとめ

ポジティブやネガティブ。

光や陰、正しさや間違い。

清さと濁り、優しさと冷たさ。

正直と嘘つき。誠実と不誠実。

わたしの中の、天使と悪魔。










自分の中にもある、これらを
ジャッジせずに見ている存在がある。

そして、その存在の「目」。
その目は、肯定でも否定でもない。

それは愛だと、わたしは感じている。










お読みくださり
ありがとうございました。


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