習慣を味方につけて、わたし改革。「お墓参りに行ったら、スッキリした」

良き習慣

お盆の時期のお墓参りも良いですが
危険な暑さには要注意です。


このブログでは、
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。


 

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お墓参りは早朝がベスト

昨日、お墓参りに行ってきました。

夫婦合わせて5箇所のお墓があるのですが
遠方を除く3箇所をお参りすることができました。






真夏のこの時期の、お墓参りといえば
危険な暑さに見舞われるため
早朝にお参りを済ませなければなりません。

なので、いつもより1時間早く起床し
モーニングルーティンを済ませ
早めに家を出発しました。




夏の早朝の空は、白い雲がたなびき
そこに朝日のオレンジがうっすら色づいて
なんともいえない美しさです。

空気も澄んでいて
早起きする得は、こんなところにも
あるのだな〜と

車の窓から空を眺め
幸せな気分になっていました。





永代供養先のお寺は都会的

数年前に義父母が墓じまいをし
我が家のメインとなるご先祖様は
永代供養されているお寺にいらっしゃるので
そこへ、初めてお参りしました。

都会の中にある、大きなお寺で
設備や案内、導線も整い
いい意味でシステム化された
なんともストレスのない都会的なお参りでした。



墓じまいをしてから、やっとご先祖様に
手を合わすことができ
主人もわたしもホッとし、心が軽くなりました。

わたしの両親のお墓と、主人の祖父(母方)の
お墓も参ることができ、心は益々軽くなりました。






思い+行動=スッキリ

なぜ、お墓参りをすると
心が軽くなるのでしょう?

おそらく普段のご先祖様への思いと
行動が一致するからではないかと
わたしは思っています。

わたしは何もお墓参りに行くことが
絶対「善」だと言いたいわけではありません。

ただ、思いと形が一致すると
非常に流れがスムーズになる気がして

これが心の軽やかさや、気分の良さに
つながるのだと感じているのです。






この世界では
「思い」と「形」が一致することは
非常にバランスが良いように思うのです。


「形」だけ立派で、心は置き去りなんてことは
本末転倒と思いますが

いくら心で思っていても
言葉や行動に表せなければ
つまり形にならなければ無いものとされる

そんなこの世的ジレンマがある気がしています。







この世界は、目に見えないものと
形あるものと両方で成り立っていて
そのバランスが大切だと、わたしは常々思っています。

それは良き習慣を身につけるようになって
さらに確信しています。

「思いと行動」のどちらも大事で
そのバランスが良い感じに取れると
人生の流れがスムーズになると実感しています。









遺伝子を受け継いだだけでも立派

命として、先人たちと繋がり
遺伝子として、ご先祖様と繋がりを持つ
今を生きているわたしたちです。

先人たちや、ご先祖様の思いは
わたしたちの生き方に
託されていると思っています。

これは何も立派な人になれとか
善を行えということだとは
わたしは思っていません。

「生きている」ことそのものが
もう立派な役割を継いでいると感じています。








誰しもの人生の中に
「どうしようもないこと」が起きたりする
経験があると思います。

わたしはここに大きな役割があると
思っています。

人間の世界では
「もっとこうしたら良いじゃないか」とか
「それは間違い、こちらが正解」なんて
いとも簡単に言いがちですが



そうは分かっていても
にっちもさっちも行かないことって
起こるんですよね。




そんな時、自分でも「変だな?」
「おかしいな」「不本意だな」と思っても
軌道修正が難しい。

そんなことありませんか?




それは、その経験をするということ自体が
まずお役目といったことがあるのではないかと
わたしは思えてなりません。


そして、その経験をした自分を
活かす方へ舵を切り始めることこそ
大切なことのように思うのです。







ご先祖様も一緒に経験している

わたしの人生の中でも
にっちもさっちもいかないことを
何度か経験しています。

頭では自分の行くべき道が分かっているのに
どうしても自分が思う方へ行けない。

どう足掻いても解せないことが起きていて
その時に、何度も何度も泣いていました。






すると、どこからか声が聞こえてくるように
感じました。

その声は
「ごめんね。ごめんね。
こんな経験させてごめんね。
ありがとうね。ありがとうね。」というものでした。

その時にわたしは
「思いを、遺伝子を、引き継いでくれてありがとう。」
と言われている気がしたのです。

「なるほど、わたしがこの経験をすることは
必要なことだったのだ。
そして、この経験を「糧」にするために
わたしのこれからの人生があるのだ。」と

側から見てもわからない
自分だけがわかる感覚で納得していることは
いくつかあります。

こうして、少しずつわたしの遺伝子にある
ご先祖様の思いが報われていくというか
流れていくのを感じるのです。








ご先祖様には「応援」されている

ご先祖様は、子孫が悪いことをしたら
怒って罰を与えようなどということは
1ミリもないと思っています。


お墓参りしていないから悪いことが起きるとか
バチが当たるとか
そんなことはないと思っています。








ご先祖様にあるのは
私たちへの「応援」だけだと思っています。


これはなぜそう思うのかというと
めちゃくちゃシンプルかつ明瞭です。

もし、わたしがこの世から去り
ご先祖様的立場になったと想像したら

目の中に入れても痛くないような
可愛い可愛い子孫に

怒ったりバチを与えようなどと
1ミリも思わないからです。


いつでも応援しているからね。
生まれてくれて、生きてくれてありがとうね。
と思うはずです。






くれぐれも暑さ対策はしっかりと

それにしても、お盆の時期のお墓参りは
午前中といえど、猛烈な暑さに見舞われるので

もし行かれる予定がありましたら
暑さ対策だけは、しっかりして行って下さいね。

わたしは早朝に出たため、なんとうっかり
日傘を持っていくのを忘れてしまい
ど、どえらい目に合いました〜。









焦げ付くような暑さに
頭で卵焼けるんじゃないかと思うたほどです。

まだまだ暑さ厳しき折
どうぞご自愛くださいませ。




お読みくださり
ありがとうございました。


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