習慣を味方につけて、わたし改革。「ミニマリストに憧れるわたしのエビデンス」

ミニマリストへの道のり

ミニマリストに憧れるわたしの
エビデンスが見えてきました。

それは、過去の遺品整理から
紐解かれます。

 

このブログでは、
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。

 

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わたしの片付けの始まりは、ささやかな夢から

わたしは、母が病に倒れる前から
実家の片付けにいそしんでいた。

8人兄弟の10人家族だったため
やはり物の量は、かなり多く乱雑としていた。

いくつもの大きな洋服ダンスで隔たれた
2部屋の和室を、ひと繋ぎにして解放し
10人家族が集える場所を作りたかった。

わたしには、きれいになった家で
広くなった部屋で、家族が笑顔で集い

母に「8人産んで良かった」と
思ってもらいたいという夢があったのだ。






ところが、その矢先
母は病床に伏してしまい、そのまま
帰らぬ人となってしまった。

その頃には、片付けも進んでいて

タンスで隔たれていた2部屋は
ひと繋ぎになり大部屋としても
解放できるようになっていた。

しかし初めて、その大部屋が活きたのは
皮肉にも、母の葬儀や法要時だったのだ。






3度の遺品整理

母の四十九日のあと、母の所有物や
実家の片付けは、兄弟姉妹の協力を得ながら
わたしが先陣を切って行った。

その2年後、弟が亡くなり
実家の弟の部屋も、わたしが先陣を切って
片付けをし

父が亡くなった後も
仕事場である事務所の片付けも行った。


過去に3度の遺品整理をしてきて
感じたのは

亡くなった人には
この世での執着や心配は
あの世でのびのびやるには
足枷になるのではないかということ。



だから亡くなった両親や弟が
早急に遺品処分をしてくれるよう
わたしに託したのではないかと
感じることがある。









と、このように亡くなった人の
物の片付けをやってきた経験から

自分の身の回りは
なるべくシンプルにスッキリしておきたいと
いう思いが
わたしの中に、自ずと生まれたのだろう。






遺品整理は「全捨て」が基本の理由

いくら片付け好きなわたしでも
遺品整理は骨の折れる作業である。

母の時は、結婚して実家を離れていたし

弟の時には、小さな子供を抱えながら

父の時には、過去に一度しか行ったことのない
都会の事務所へ足繁く通いながらであった。






わたしの遺品整理の基本は
「全捨て」である。


冷たいように感じるかもしれないが

「全捨て」の勢いを持ってやらなければ
いつまで経っても、自分の人生に帰ることが
できなくなると、わたしは感じている。


身近な人が亡くなるのは日常ではなく
非日常であるし、その日から
自分の暮らしをひとまず置いて
その非日常に身を置かなければならなくなる。


世界はいつも通り動いているのに
自分だけが時が止まったような
色のない世界に置いてけぼりにされるような
そんな独特な気分になるのだ。


そして、決まって喪失感や深い悲しみは
うんと後からやってきて
折り合いが着くまで非常に時間がかかる。




「片付けは落ち着いてから」としてしまうと
ますます自分の日常に帰るのが遅れるし

その気力がなかなか湧きづらくなる日々に
突入してしまう気がするのである。



だから、非日常に身を置いている
奇妙な興奮のあるうちに
勢いよく「全捨て」基本でやってきた。







一人でやるのは困難、遠慮なく助けてもらう

今は、物を処分してゴミとして出すのも
簡単ではない。

分別はもちろんのこと、遺品となると
量も種類も半端なく多い。

母の時は、軽トラックを借りて
兄弟に1日に何度もゴミ焼却場へ
持っていってもらった。


弟の時は、トラック1台で5万円という
ゴミ処分してくれる業者さんにお願いした。
とても親切にめいっぱい乗せてくれた。

父の時も、分別した後、業者さんに
大変助けてもらった。

当時、兄弟姉妹や業者さんの助けが
ものすごくありがたく心底感動していた。



片付けは、1から10まで一人きりでやるのは
非常に困難だ。

だから、得意な人や、時にはプロに頼って
助けてもらいながらやるのが良いと、わたしは思う。









物がゴミに変わる時の心の痛み

物を不用品やゴミとして見送るとき
わたしはいつも底知れぬ悲しみを感じる。

分別をするときは、ゴールを見据えて
感情に左右されないように集中しているが

かつての物が、ゴミとなってしまうとき
わたしは涙が出そうになる。






ものすごく罪深い気持ちにもなるし
心が引き裂かれそうにもなる。

物に対しての、自分の無礼な心や態度に
非常に傷つくのである。



これは、何度も大掛かりな片付けを
自分で経験した人でないと
わかってもらえないかも知れないが。








ミニマリストへの憧れは愛だった

家族とは、きれいな場所で
朗らかに楽しく集いたい。


暮らしを豊かにしてくれるのは
決して多すぎる物ではない。


必要な物が、必要な時に
必要なだけあればいいし

いつでも自分の人生で
フットワーク軽く行動できるように

部屋は片付けられていた方がいい
と、わたしは思っている。








そして、もし自分に何かあった時に

残された家族が
なるべく早く自分の暮らしを取り戻せるように
そして軽やかであれるように

自分の所有物や家の物は、豊かに絞り込み
少なくシンプルにしておきたいと思う。


つまり、片付けやミニマリストへの憧れは
自分自身の人生を豊かにするためと
大切な人への愛なのである

と、わたしなりに結論づける。





お読みくださり
ありがとうございました。


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