習慣を味方につけて、わたし改革。「自分いじめはやめていこう」

自分を愛して生きていく

無意識に
自分をいじめてしまっていること
あるあるだと思います。
自分いじめっ子は、もうやめて
いきましょう。

このブログでは
怠け者だったアラフィフのわたしが
良き習慣を身につけ
たら
人生どう変わるかを自らの体験を元に発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方の参考になれば幸いです。


 

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言葉による自分いじめ

自分を愛して生きていくために
やらないほうがいいなと思うことがあります。

それは「自分いじめ」です。







自分いじめは、直接的な言葉によるものも
ありますが、もっとわかりにくいものもあります。


言葉でのいじめは
「なんでこんな自分なんだよ!くそっ!」
「こんなこともまともにできないのかよ!バカ!」
「自分って本当ダメ人間だよな…」などなど

まあ、聞いていても耳を塞ぎたくなるような
暴言の数々。





ここまでひどくなくても、案外言葉による
自分いじめは多かれ少なかれ行われていると
わたしは思っています。

「あの人に比べれば、わたしなんて…」という

一見、弱々しく謙虚な言葉と
思うかもしれませんが、これも立派な
自分いじめだとわたしは思っています。





頭の中は、ほとんど休むことなく
言葉が飛び交っています。



この言葉を聞いているのは、隣にいる人…
ではなく

自分自身なのだという自覚を持つことは
とても大切なことだと思っています。








在り方の自分いじめ

言葉ではない自分いじめの代表的なものは

「自分の幸せを、自分以外の人からもらおう」
としていることです。




これは、自分自身で幸せにすることを放棄し
自分以外の人から、奪おうとしています。

「わたしを幸せにして」
「わたしが幸せになれないのは、あなたのせい」
「わたしの傷をあなたが癒してくれないせい」
「だからわたしはいつまでも幸せになれない」

自分が幸せでないのは、何かのせい、誰かのせい
になってしまっているのも
立派な自分いじめだと
わたしは思っています。








これは自分のことを、軽視し、蔑み
ひどい場合は無視している状態と似ています。

「わたしには力がない」
「わたしは存在価値がない」と思い込んでいるのです。

「わたしは存在価値がない」と心の奥深くで
思い込んでいるとしたら

そう思われている自分がとても可哀想です。
傷ついて、悲しみでいっぱいになるでしょう。






パン生地であることを思い出そう

本当のところ
存在に価値も無価値もないと
わたしは思っています。


便宜上、存在の価値と言っていますが
存在は、もっと明白なものなのです。







例えば、わたしたちの元々の姿が
パン生地だったとします。




そのパン生地をちぎってパンを作ると
元のパン生地とは似ても似つかない
パンが出来上がります。

メロンパン、クリームパン、クロワッサン
食パンなど、さまざまな種類のパンが
出来上がります。



でも、私たちは元々はパン生地なのです。
みんな同じパン生地です。


それがたまたま、違った見た目に
なっているだけです。









これを、そのままこの世界の私たちとして
当てはめてみます。

大自然、宇宙、いのちの源など
なんでもいいですが、ここではわかりやすく
神様としておきましょう。

誰もが、求めてやまない全知全能の神様から
色んな種類の人間や動物、あらゆる物に
姿形を変えました。



これが、この世界なのです。
つまり大元は、同じものなのです。

私たちは、皆、神様と言ってもいいでしょう。
私たちは、皆、パン生地と言ってもいいでしょう。









自分を軽視し、蔑み、無視することは
同時に神様(パン生地)を軽視し
蔑み、無視することになってきます。(自動的〜)



神様と共に生きようと思ったら
(もうすでにそうあるのですが)
自分の大元は神様であることを思い出して
人間をやるしかありません。

パン生地無くして、パンは作れないのです。


自分がメロンパンであることを喜ぼうが
絶望しようが、パン生地は消えません。








パン生地と共に生きよう

自分がいかに大切な存在であるかは
大元がパン生地である例えによって
わかってもらえるかと思います。

(え?余計わからん?)







もし自分が神様なら

自分を酷い目に遭わせようと思うでしょうか?


可愛い可愛い自分の一部をいじめ倒してやろう
と思うでしょうか?


自分は幸せになれないと、何もかも人任せにして
不平不満の日々を送るでしょうか?







もし、わたしが神様なら
まず、わたしという存在があることを
「大成功」と喜ぶでしょう。

そして、肩を組んで二人三脚で
この世界を駆け抜けるでしょう。

もちろん途中でつまずいたり転んだりしますが
互いに励まし合うでしょう。

そして、他の神様に助けてもらったりも
するでしょう。








あなたは、あなたであっても
たった一人ぼっちで切り離された存在では
ありません。

一度も切り離された存在になったことは
ありません。

なぜなら、それは不可能だからです。



パン生地のないパンなんて存在できないのですから。







このことを、もう一度思い出して

「わたしが」「わたし1人きりで」
「わたしの人生を」「生きなければいけない」

という勘違いから抜け出すことができたら
いいな〜と思います。

まず「わたしを嫌っていじめてきた」ことを
認めて(見て留める)あげて欲しいです。

自分に嫌われ、いじめられてきた自分は
怯えていますし、泣いていますし
腹を立てて怒っていますし
何より絶望していることでしょう。





それに気がついて、謝り、抱きしめ
癒せる力は、ちゃんと自分の中にあると
誰の中にもあると、わたしは信じたいです。

なぜなら、私たちの大元は
ノープロブレムな、モーマンタイの
無敵なパン生地(神様)だから。






一生かけてでも自分を愛して生きていこう

自分の幸せを人任せにしてしまうと
それを実現できる可能性は
かなり低くなってしまいますが

自分の幸せは自分で責任を持とうと
覚悟を決めることができたら
実現できる可能性はかなり高くなるでしょう。






なぜなら、幸せとは「目線」つまり
どこを観ているかで決まってくるからです。

不平不満や足りないという目線で
この世界を見ると、まさにその通りになります。
自分の思い通りになるのです。(やったー!)



って、こんな思い通りより

「え?あれもこれも奇跡じゃん。
幸せがすぎる〜♡」という目線で
この世界を見れば、幸せが自分の手の内に
すでにいつもあることがわかるでしょう。










自分を愛して生きていくことは
人生を豊かに幸せに過ごすための
基本中の基本だとわたしは思っています。

だから
自分に嫌な言葉を使って攻撃しない。
不平不満ばかり聞かせない。
やたらと不安を煽らない。
周りや人のせいばかりにしない。

ということは、とても有効だと思います。




試行錯誤を繰り返し、あの手この手で
一生かけてでも、自分を愛して生きていきましょう。



今日も、お読みくださり
ありがとうございました♡


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自分を愛する大切さがわかる
わたしのおすすめの1冊です♡

「喜びから人生を生きる!」
アニータ・ムアジャーニ著

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