習慣を味方につけて、わたし改革。「自分を愛して生きることはDNAをも愛することかも」

自分を愛して生きていく

思考や感情は肉体に付随している
らしい…のです。
もしかしたら
自分だと思っているものは
選べないDNAなのかも知れません。

このブログでは
怠け者だったアラフィフのわたしが
良き習慣を身につけ
たら
人生どう変わるかを自らの体験を元に発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方の参考になれば幸いです。


 

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ちょうどええはむずかしい

のんびりしたいですよね〜。


でも、のんびりしすぎると
忙しくしたくなりますよね〜。


で、忙しいと
またのんびりしたくなりますよね〜。


このあたりのバランスの取り方が
何歳になっても上手になれないのは
何でだろう?と思います。








何も考えたくない、何もしたくない時もあれば
めっちゃ集中して、充実感を味わいたい時もあります。

どっちもあるから、どっちも欲しいんですよね。

そして、のんびりしたいと思うときは
大抵、忙しい時で

忙しくしたい時は
大抵、暇を持て余している。



振り子が右に振れれば、いつかは自ずと左に振れる。
陰極まれば陽に転じる。その逆もまた然り。

この世界で
波打って、流されているな〜と感じます。





では、ちょうど良い感じになることは
可能なのでしょうか?

お風呂のお湯の
熱過ぎず、ぬる過ぎず、ちょうどええ湯加減
みたいな人生ってどんなだろう?って思います。

振り子が左右に触れることのない
真ん中の状態で過ごせる人生ってどんなだろう?
って思います。










思考と感情は肉体に付随する

人間の思考や感情は、肉体に属するものと
聞いたことがあります。


ということは
肉体を持って、この世に存在している限り
この思考と感情から自由になることは
おそらくないのでしょう。





よく臨死体験した人の話では

自分の体から意識だけが離れたとき
何の思考も感情もなく

ただわかっているという静かな俯瞰状態と
穏やかな精神のようなものが残る

と言われます。


わたしは割とこの話を信じているほうです。








思考と感情が肉体に付随するものだとすれば
ガッテンがいくな〜と思うところもあります。

肉体が両親はじめとする
DNAで繋がってきているものならば

肉体に付随する思考や感情も
DNAで引き継がれているはずです。







そして、思考や感情は、その人自身を表す
大まかな性格になっています。

つまり、性格(思考や感情)は
選んでいるようで、選べないのではないのかと
思ってくるのです。

「こんな性格だから…。」と
悩んで辛くなったりする時がありますが

もしかしたら実は、ほとんど個人としての責任?は
ないのかもしれません。



あるとするなら、個人としての挑戦では?
と、わたしはこのように感じる時があります。










DNAの仕業?

性格を直すとか、性格を変えるとかいうと
どこか、個人的な努力や勤勉さを求められる
気がします。

これって、なんかキツいな〜と感じること
ありませんか?






同じ出来事に遭遇しても
自分と他の人とでは、全く違う反応を
見せることがあります。

「あの人のように考えることができたら
どんなに良いだろう。」

「あの人のような反応や受け止め方ができたら
どんなに楽か。」

と、人と自分を比べてしまい
落ち込んだりすることもあるでしょう。









また「なぜそんな反応しかできないの?」
「なんでこう考えることができないのか?」と

自分以外の人のことで
気持ちをジリジリさせることもあるでしょう。









その時の反応の仕方が
まさにDNAの仕業なのではないのかと
わたしは思うのです。

だから「性格直してよ」と言われても
これは、本当にどうしようもなく難しいことだと
わたしは思っています。

自分の思考や感情を、ある程度は可能でも
絶対的にコントロールすることは不可能だと
思いますし、もちろん肉体に関してもです。









お?来たな?DNA

なので、次々に湧いてくる自分の思考や感情は
DNAからの挑戦状なのかもしれません。









取るに足らない思考や感情は
すぐに流れ去って行きますが

時には立ち止まらざるを得ない思考や感情に
翻弄されることがあります。



「また、これか…」と飽き飽きするぐらい
何度もループしているような思考や感情を

DNAの観点から見れば「変える」のではなく
「還す」という選択肢が出てくると
わたしは感じています。





「さいなら〜」







例えば、わたしが
「わたしはいつも仲間外れな気分になる」
という悲しい感情を伴う思考が浮かんだとします。

この時に「お?来たな?DNA」と思うようにします。

すると、この繰り返す悲しみは
今のわたしの個人的なものではなくなります。

「大昔からずっとあるやつ」という認識すれば

「よし、今世わたしが受けて立とうぞよ」
という気になってきます。










歪な形に育った感情を更地に戻すために
どうやって「安心」させてあげれるかに
思考が移動します。

・その感情を誤魔化さずに、飽きるほど感じきる。

・「わかるよ〜その気持ち。」と寄り添う。

・美味しいものを食べたり、綺麗なものを見たり
気分を変えてあげる。




など、その時にできることをできる限り
やってあげるという方法もあります。








あれやこれやと手を尽くしてもダメな場合
「一生ここにいろ、わしが面倒みるさ」と
言ってあげることもできます。











意識は宇宙からやってくる

その思考や感情を還す(昇華)ために
一緒にいるなり、寄り添うなりしているのは
自分の肉体に付随している思考や感情ではなく

意識のほうなのではないかと、わたしは思うのです。





自分の意識は宇宙から
思考や感情は肉体からと

別のところから派生していると考えると
おもしろくないですか?








もしかしたら、この人生は
スーパーマリオのゲームのようなものかもしれません。



マリオは今ここにいる自分で
思考や感情は
くりぼうやパックンフラワーのようなもの。

意識はどう攻略して、ゴールにたどり着くかを
考えているプレイヤー。



つまり意識は、DNAの影響を受けないものでは
ないのかと考えたりもします。




「無敵〜」







自分を愛する=DNAを愛する

意識を活用して
わだかまりのある思考や感情を克服していく
というゲームをしているとすれば

人生、深刻にならずに済むかもしれません。










そして、わたしがこの自分の人生で
めちゃめちゃ自分を愛して生きることができたら

それは、DNAを愛したことにもなるのかも知れません。






つまり、自分を愛するということは
繋がってきたご先祖様や両親をも愛することに
なると思っています。












愛するとは何でしょう?

わたしはこう思います。


自分を含む全てに

「よくぞ生まれて、生きてくれた」
「あっぱれ、あっぱれ」「ありがとう」

という意識を忘れないことではないかと。






この意識だけが
まるで良い加減のお湯に浸かっているような
振り子の真ん中にいられるような
わたしを穏やかにさせてくれるものであります。






今日も、お読みくださり
ありがとうございました♡


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自分を愛する大切さがわかる
わたしのおすすめの1冊です♡

「喜びから人生を生きる!」
アニータ・ムアジャーニ著

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