習慣を味方につけて、わたし改革。「本当の願いは叶うようになっている」

自分を愛して生きていく

願うから叶うのか?
叶うから願うのか?

どのみち、大切なことは
自分の願いを知ることだと
わたしは思います。

 

このブログでは、
怠け者だったアラフィフのわたしが

今から良き習慣を身につけると
人生がどう変化していくのかを実験し
その経過観察を発信しています。

これまでの人生経験で得た
わたしの考えや思いも発信しています。

読んでくださる方に
ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。


 

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「願いは叶うようになっている」とわたしは思っている

わたしの人生を振り返って
たびたび思うことがあります。

それは見事に自分の願いは
きっちり叶っているということです。




その中でも、すぐ叶うものと
かなりのタイムラグがあってから叶うものとが
あります。

かなりのタイムラグがあるものは
カタチ(見え方)が多少違っていたりしますが
大筋の願いは叶っているので
ハッ!とします。

「これ、昔にずっと願ってたやつだ」と。





そして、毎日の暮らしの中でも
願いとも思っていないような
小さな願いは叶えられ続けています。

お茶飲みたい、美味しいもの食べたい
電車乗りたい、仕事したいとかとか。






つまり、願いって
どのみち叶うようにしかなってないんじゃ
ないかと思うのです。

とはいえ、自分が願えることの内容や範囲は
限られているようにも思います。








本当の願いか、そうでないか?の見分け方

ちょっと大きめの願いで
それが本当の願いか
そうでない願いかの見分け方は

「気がつけば、常にそのことを考えている」という
状態にあるかどうかだと思っています。

そして、そのことについて考えるとき
心も同時に動いているように思います。




たまに考えるとか
無理矢理、願いをイメージするとか
そんな感じのは、ちょっと違う気がしています。

願いを叶えることが幸せなことだからと
イメージしようとしても
大抵はうまくいきません。

でも、自分にとっての幸せはこれ!と
分かっている願いは、遅かれ早かれ
必ず叶えられる気がしています。








願いというより、知っているという感覚

初めは、ただの願いでも
途中から「知っている」という感覚に
なることがあります。


わたしが思うに、願いをずっと考え続けると
「こうなったらな〜」から
「こうなるだろう」に変わる時期がやってくる
ように思います。




ずっと、その願いについて考え続け
機が熟せば
だんだんと願いが叶う条件が揃ってきて


あとはその通りに行動するだけだったり
待つだけだったりするように思います。

この時点では、もう願いは願いではなく
確信に変わっています。






ただ、その道を歩くかどうか
待てるかどうかで
その願いが叶うかが
決まってくるようにも思います。

でも、見えているのだから
きっとその道を行くことになるのでしょうけど。





あくまでも「わたし」の「願い」が叶えられる

わたしの願いも叶えられ続けています。


これまでも側から見てもわかりづらいけれど
わたしだけがわかる
願いは、たくさん叶えられてきました。

が、これらはあくまで「わたし」の願いが
叶えられるのであって

「誰か」の願いは、やはり叶えられないようにも
思っています。








誰かの願いとは、例えば

お母さんが幸せになってほしいとか
兄弟や友達の病気が治ってほしいとか
みんながお金に困らずにいられますようにとか

一見、わたしの願いであるように思いますが
これは全部わたし以外の人のことを願っているに
過ぎません。

これは、やはり叶いにくいと思っています。



もしかすると、これらは願いの顔した「心配」だから
かも知れません。

本当の願いは「わたしが安心したい」という
ことなので、また別のアプローチがやってくるでしょう。








と、すればやはり人は自分の願いなら
叶えられるようになっているのかも知れません。

そして自分の願いを叶えることが
人の願いを叶えることにもつながっているのかも
知れません。







願いを叶えることより魅力的なこと

まだ全然、その願いは叶っていない段階で
しかも、叶うかどうかも全くの不確定な段階で

「確信」している状態になることがあります。

そうなることが見えているという感じです。







この状態になると
「実は、初めから決まっているのじゃないか?」と
思ってくることがあります。

願える量も範囲も、内容も
あらかじめ決まっているのじゃないかと
思うのです。


なぜならわたしは、総理大臣になりたいとは
1ミリも思わないですし

大型クルーザーを所有して
夜な夜な船上パーティーをしたいとも
全く思いませんから
その状態になることは、まずないでしょう。








だからといって、わざと自分の願いを制限する
必要はないと思いますが


自分の願いを人と比べて「ちっぽけだ」と
思う必要もないのでしょう。




実のところ、願いから解き放たれて

どんな人生であっても受け止めて肯定してやる
ぐらいの心持ちでいたほうが


もしかしたら、幸せなのかも知れないと
思うこともあります。






それでも願いは叶えられる

あなたが願いを持っているとしたら
そして、その願いについて
四六時中考えているとしたら
その願いは高い確率で叶うと、わたしは思います。







しかし、そもそも
その願いがどこからきているのか
不思議に思うことはありませんか?

わたしはあります。

なんで、こんなことを願うのだろう?
自分でもわからないのです。






ということは、きっと、たぶん
それは、あらかじめ叶うと
決まっていることなのではないのでしょうか?

もっと言えば、生まれる前に
自分で決めてきたことなのかも知れません。







ささやかであっても、自分の願いを
大切にすると人生が笑顔になる気がします。



情報が多いこのご時世ですが
それらに振り回されず

自分の本当の願いを思い出し
忠実でいられることが

幸せな人生を送るのに
大切なことのように、わたしは思っています。







お読みくださり
ありがとうございました。


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